張合β儁艾の日記帖


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第44回領土戦 2004/08/01(Sun) 11:10

 アジアカップサッカー日本代表vsヨルダン戦の日本の奇跡的勝利に気分は上々♪
 そういえば日本代表のユニフォームは青。まさに魏の色だ。日本代表のように、苦しんで苦しんで、しかし最後には良い結果がついてくる!と信じて領土戦に臨んだ張郃でありました。

【対呉ニジェ防衛戦】
 魏20程度に呉30強。アクト差にかなりの違いがある上狭い戦地のニジェでの防衛戦はかなり辛い。
 序盤、いつものように魏本陣南方面から呉が攻めてきた。フィールドと弓中心の攻防。状況が膠着状況になればいろいろ策はある。フィールドの貼り具合に気をつけつつ状況を把握する。
 指揮をする立場となったことから、大体いつも陣取っている本陣の上側の狭い場所ではなく本陣中心付近でひたすらIRCであれこれ発言。今まで突破を許していない北側の隘路でも攻防が行われており、魏将が討ち取られた状況をみるに、そこに居ることができなかったことが残念でならない。
 さて、いつもなら魏本陣南〜西からせめてくる呉であったが、今回は南〜東の家の影に体制を集結してきた。魏本陣東側の隘路を防ぎきれず石壁と弓でゴリゴリ前進。
 本戦の焦点は全てこの局面に集約される。今までと違う呉の攻め方に、私が指揮を誤ったのが敗因である。南方面に展開していた防衛体制を東方面にシフトさせるタイミングを逸してしまったことだ。折角の魏の弓隊の威力を発揮することができなくなった状況で、本陣防衛しきるのは無理というもの。
 たとえ少数でも全ての戦力を最大限効果的に発揮することができれば、少々の人数差はどうってことはないのだが、今回は自らの能力を最大限発揮できる指揮をとることができなかった。
 このままではジリ貧で、本陣で押しつぶされて終わりであることがみえてきた中、呉大将孫堅殿が南〜西方面にいることがわかった。しかもそちら方面の呉の数はわずか。乾坤一擲大逆転を狙い、タイミングをあわせて一気に本陣を離脱して孫堅殿追撃することとしたが・・・
 一気に本陣離脱した直後あたりで孫堅殿は呉の本隊に合流した旨の報告。。。こういうとき指揮が混乱してはダメだ。。。ということではあるが、なにせ一瞬のチャンスと思えた孫堅殿捕捉のタイミングを逸し、しかも既に一部本陣は放棄しつつある中で、仕方ないので呉本陣へ集結することとしたが。。。
 呉本陣に集まったのはわずか数名。これでは勝負は既に見えている。あとは大将曹操殿、副将ホウ悳殿討ち取られ、長らく死守してきたニジェは落ちた。

【対蜀トリ防衛戦】
 アクト的にはほぼ同数。
 魏本陣南〜南西方面でフィールド+弓の攻防から始まる。これも大体いつもどおりではあるが、最前線の様子を伺うに徐々に前進することは可能な状況のようである。
 ここは一つ考えるべき場面である。最前線の攻防にて押せるのは、本当に優勢なのか、それとも魏主力を本隊から引き離そうとしているか、のどちらかである。
 その答えは魏本陣北〜東方面の蜀将の動きにある、とみて、本陣付近から状況を把握する。最初は趙雲殿、馬岱殿あたりだけであったが、徐々に増えてくる蜀将。
 魏主力を本陣付近に再集結させ守りを固める。フィールドの薄いところを気をつけて、いずれ魏本陣になだれ込んでくるであろう蜀将の動きに気をつける。
 終了間際、蜀大将劉備殿が魏本陣に踊りこんできたが時間内に討ち取りかなわず、結果引き分け。しかし防衛できたことだけでとりあえずは成功である。

【対蜀ダスタ侵攻戦】
 ダスタを落とすことが出来ればスカラが空白地化するだけに、トリが健在なうちになんとかダスタを攻略したい。
 アクトの3分の1程度を割き、部隊をつくって蜀本陣へ向かう。その間、海上より司馬炎殿から蜀全軍船で移動の報。その間、陸部隊は蜀の豚を減らし再び本陣へ戻る。
 侵攻戦ではあるが、魏本陣周辺にて魏が本陣防衛、蜀が攻め、という図式となってしまったが、フィールドでひっかけた蜀将を確実に落とすことができ、数的優位を築けたのが大きかったか。
 魏本陣の防衛状況に余裕があったため、蜀の豚食い第二陣を派遣することができ更に豚の数を減らす。
 この日は第一戦、第二戦ともずっと指揮をとっていたので、張郃がまともに戦った時間はごくわずかしかないこともあって、少し本陣まわりで蜀将を追いかけたりしていたら、指揮を出せ!とのキツイご下問・・・まだまだ指揮官自体に徹し切れていない現れであって、ちょいと反省です。
 終盤、蜀大将・副将狙いに焦点を絞るものの行方知れず。捜索に時間がかかり引き分け終了〜となりそうだったので、蜀本陣からっぽ、の報を得て、豚食い完食だけでもやっとこうと指示。
 結局引き分けだったけれど、最低限のダスタ−5だけは行うことができた。


第44回領土戦(その2) 2004/08/01(Sun) 12:33

 結局金曜日の夜帰宅できたのは既に空も白み始めた時間帯。
 月〜金で魏chに顔を出せたのは火曜日の現地検証の途中からだけ、というなんともはや厳しい状況。
 リアル状況は依然として厳しく、とりわけこれからが本番中の本番という、なんともはや^^;
 それでも金曜日、とりあえずの”仕込み”がまず一段落し、しばしの節目となったので、精神的に少しほっとしたのが大きく、サッカーの結果もあいまって、気分的には上々である。

 さて、領土戦では、”指揮官”なるものに実質的に初めて挑戦した。もちろん今までも、大将役をやったときとかそれなりに指揮官風のこともしていたのではあるが、意識して”指揮官”ということでやったのは初めてである。
 初戦のニジェ防衛戦では、弓隊の配置に対し的確な指揮ができなかったことが最大の反省である。それと、やはりIRCをみれていない人の存在もある程度勘定にいれておかないといけないことを実感した。
 魏chでの各種指示・報告類をみることは基本であるし、常に徹底しようとするわけであるが、現実の領土戦にて真にそうできるとは限らない。
 現実の領土戦の際は、そのときどきの魏メンの状況を前提としたうえで、最適の指揮をしなければならない。教科書どおりでよいならば、指揮官は不要なのである。

 ニジェ戦で特に思ったのは、指揮をしてるとやはり動きは鈍くなるということ。それに伴い、”武官張郃”分の戦力は確実にダウンすること。
 指揮に慣れればこのダウン分は取り戻すこともできようが、最前線あたりでの冒険度合いは確実に減ることとなろう。
 この減分を指揮での増分で相殺できれば良いのだが、ニジェ戦のようにアクト的にかなりの差がある場合は、戦力ダウン分の割合がかなり大きくなってしまう。
 このあたり、”指揮”での緊急スキルアップが必要なところであるが・・・なにせ平日のアクトが出せない状況が辛いところだ。

 *************

 平日のアクトが出せない状況で辛いのは物資調達=司徒の仕事ができないこともある。
 ひさびさに魏GHの物資残量をチェックしPOT樽在庫が乏しくなっている現実をみて、正直かなり辛かった。
 領土戦終わった後、文鴦殿がPOT樽補充を始めたところで気がついて、せめてもの罪滅ぼしに一緒にPOT補充をがんばることにした。
 そうこうしているうちに、胡烈殿、羊示古殿も補充作業に加わってくれて、なんだかとても嬉しく思った。4人のアルケミストの威力はすさまじく、かなりの量のPOT空樽の中身が充填された。
 深夜3時〜4時という時間帯での作業であったので、文鴦殿からお気遣いをいただいたわけだが、この時間帯は、最近のリアル状況からすれば、一番の活動時間帯であったりして、実は元気なのである。(その分ツケは午前中とか、午後2〜3時あたりにふきでてくるが・・・)

 深夜のPOT作業の終了後、魏chに夏侯和殿がやってきた。程殿と同じギルドの夏侯和殿は新規参加でキャラ育成中である。新規参加者のサポートも、日頃魏chにいないとなかなかできない仕事であるが、この日は久方ぶりにサポートすることができた。

 本当なら

 今までのように魏chに常駐し、模擬やら物資調達やら新人サポートやら、いろいろやりたいのである。しかしそれができないところがかなり辛い。せめて土日だけでも・・・という気持ちでいっぱいである。


人狼 2004/08/02(Mon) 03:22

 「人狼」

 本日「人狼」イベントを行うということなので何はなくとも早速参加。とりあえずルールを斜め読みして大体わかった!「人狼」初挑戦である。

【一回目】
 私は村人役。
 はじめての人狼イベントで、そばにいた曹植殿がぶつぶつPOTがどうのこうのと、始まる前からしゃべってたのについだまされた。
 きっと曹植殿はルールをあまり把握していないに違いない!文章読むの鬱陶しいって以前から言ってたからきっとそうに違いない!
 ということで第一夜の相部屋に曹植殿を指名。
 この間、ルールについてあれこれ質問があったので答えていたら時間が経過してそのまま第一夜おしまい。
 そして第二夜。今度は曹植殿から指名を受けた。安全パイと思われたのだろうと思っていたら、なんと熊マスクを渡されたw

 おぉぉぉぃ・・・
 全部伏線だったのか・・・

 ということであっさりだまされそのまま乙。

【二回目】
 今度はうって変わって狼役。
 第一夜のすごし方を悩む。相部屋は曹休殿。
 一回パスできるものの最初からその権利を行使するかどうか。村人の数も多いので打って出ようと曹休殿に熊マスク。
 言い訳は・・・狩人ってことにしちゃおうw
 が・・・夜が明けての会議にて郭淮殿が狩人宣言。結果衆目の一致するところ張郃の言う事は信用ならん、ということでそのままリンチにあって乙。
 後で郭淮殿は狂人役であったと聞いて、結果なんと同士討ちという図式であったとなw

 ということで、個人的には、一回目見事にはまり、そして二回目は嘘のつき方で見破られ、いずれもあっさり乙となりましたw
 どうも嘘ついてると言動がかなりあやしくなってすぐに見破られちゃうようです・・・

 うーん・・・だまされやすく、だませない。。。
 ちと世の中のキャッチセールスとかに気をつけることとしよう。。。

 ということでしたが、全体的に「人狼」かなり面白かったですね。一見ルールが複雑そうですが、やってみると案外すっと入り込みやすいですね。
 あと参加者がみな「人狼」に精通すればするほど、だましだまされ、の関係が複雑になり、より面白くなるゲームと感じました。

 なお、今回のイベント企画、運営にご尽力いただいた「賑やか士」の皆様ご苦労様。次回やるときは是非参加者側で参加してね。
 それにつけても、本日のイベント参加者くらいのアクトが平日から常時あれば・・・と思ってしまいましたw


あまりにも唐突 2004/08/03(Tue) 10:49

 いつもより早く帰宅できてハッピー♪
 といいつつログインできたのは1時半を大きくまわった時間帯><
 ところがこんな時間帯でもなんと模擬中であったとはかなりびっくり。

 がんばってるなぁ〜

 こういう姿をみていると元気がでてきます。2時を大きくまわったあたりでの魏GHの屋上で、たくさん元気をいただきました(感謝

 ***********

 さて、気がついたときに少しずつ上げていたトレハンテイマーの鍵がこの日GMになりました。なんでもトレハンでとれるアイテムについて、修正がはいるとかはいらんとか(AFとかパワスクもとれるようになったりする???)というお話があるようですが、一応これで、地図と鍵はともにGM。将来の修正を楽しみにしててもいいかなw

 ***********

 曹植殿が脱退届を出していたのに気がついたのは深夜3時頃だったか。魏chの会話になんだか違和感を感じて一般BBSをみてみたら脱退届が出されていた。
 昨日までそんな気配はまるでなかったので、あまりにも唐突、という感であり、むしろ突然何かが起きたのではないかと心配である。
 曹植殿と私は、武将登録したのは全く同じ昨年の9月1日のこと。一般BBSに武将登録するにあたり、曹植殿の届にならって届出をした覚えがある。
 曹植殿の領土戦デビューは第6回領土戦だっただろうか。対蜀ブリ侵攻戦で壊滅負けをくらった記録的な大敗となった一戦であった。GHへ戻ろうにも秘薬も何もなく、幽霊ローブのままゲートを出すための秘薬を拾い集めた記憶は今でも鮮明だ。
 昨年秋頃。深夜の魏chにいた魏メンは私と曹植殿だけ、という状況が常態であった。魏の建て直しのため、どうしたらよいだろう、ということをいろいろ話し合った。
 脱退届を出すということは余程のことなのだろう。できれば晴れやかに見送ってあげたいところだが、どうしても未練がましくなってしまうことをお許しいただきたい。
 同じ時期に魏に入り、辛い時期をともに凌ぎ、苦労を分かち合った曹植殿が魏から去るということは、私にとって耐え難くしのびがたいことである。

 しかしながら。。。

 願わくば、このUO三国志での約1年が、曹植殿にとって思い出に残る1年であったことを信じたい。

 さらば曹植殿。さらば玉子。
 いつかどこかでまた会えることを願う。

ホウ徳 > 初陣は私も同じでしたね。あの悔しさは忘れないですが、思い出でもあります。貴重な戦友を失うのはやはり忍びない。残念です。 (08/03 18:09)

サバイバル 2004/08/06(Fri) 12:32

 全速力で走り始めて約一月。
 疲労の極地の雰囲気で充満している我が職場。体調不良での欠勤、通院、遅刻など、同僚たちの間にも見えない悲鳴が上がり始めた。

 早めに帰宅した昨晩。0時より前に帰宅したはずだが、そのままDOWN。パソコンさわる元気もなし。

 少し・・・休みたい。


第45回領土戦などなど 2004/08/08(Sun) 09:43

 待ちに待ってた土曜日。
 睡眠不足は日曜日に解消することとして、朝から仕事の合間に甲子園大会を眺め(何、仕事の合間に「ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還」のDVDをみて、仕事の合間にサッカーアジアカップ決勝戦をみて・・・結局仕事が進まなかった。・・・まぁ、ときがくれば何事も結果はでているものです(謎

 ************

 開戦前30分の時点でのアクト数は15もいっていなかっただろうか。いつものことではあるが、なかなか慣れなくてはらはらする。
 が、今回特に焦ったのは、復帰の司馬望殿をどうやってギルドに登録するか、という点でかなり気をもむ。魏のギルドとしての石管理は曹植殿であったのだが、その曹植殿が脱退届を出してから音信不通状態であったので、魏のGMをなんとかせんといかん。
 確認すると魏のギルド登録人数は46名。「忠誠対象で、半数以上のメンバーの忠誠を集めた者がギルドマスター(GM)となります。」【パラリ抜粋】ということなので、単純計算すれば23名人数がいないと新GMは誕生しない。
 会戦前の人数はとてもじゃないが23名いそうもないのでかなり困った。そこで、魏メンの何名かは、過去曹丕殿も石管理をしていた経緯があることから曹丕殿を忠誠対象にしている方もいるはずなので、まずは曹丕殿へ忠誠対象を変更し、曹丕殿が現れることを期待するが。。。
 数名忠誠対象を変更した時点でまずはGMは曹丕殿とすることに成功。あとは曹丕殿が姿をみせてくれると良いのだが。。。
 しかし開戦前15分の時点で曹丕殿も姿をみせる気配がない。その時点で魏chにいるメンバーは23などいるはずもない。

 困った・・・

 そこで、もしかしたら過半数ではなくて、最大数の忠誠対象を集めた人がGMになれるのでは?という可能性に一縷の望みを託し、忠誠対象を司馬炎殿に変更することとしたところ・・・

 なんと見事GMは司馬炎殿に変更することに成功した!

 つまり過半数いなくても、GMの変更は可能であったということが証明されたのだ。パラリの記述は正確ではなかった。最大数の忠誠対象を集めた者がGMとなるのが正解だ。

 それと同時に。。。一度クーデターに失敗した晋建国の動きが再び現実味を帯びてきたのとともに今回はっきりと権限も得たこととなる。司馬師殿、司馬懿殿、司馬望殿と立て続けに復活を遂げている最近の司馬家は以前のクーデター時に比べ格段に勢力を増している。一方曹家といえば、曹叡殿、曹植殿の脱退が・・・(略
 曹家にしてみれば、曹操殿があと一歩ログインが早ければ。。。ということころであろうか。

 ・・・まぁ何はさておき、無事司馬望殿のギルド登録(そしてなぜか辛田比殿のギルド登録も)が完了したのは開戦10分前のこと。そしてそのすぐ直後、日本代表が3点目をゴールし3vs1に!

 日本代表チームのチームカラーは青!
 そして青といえば???魏!!!
 関係ないことであるが、気分上々士気上々。

 戦の前にもう一波乱。
 魏の大将・副将といえば、曹操殿、曹丕殿でなきゃやはり落ち着かない。IRCでナルトがない状態に共通する部分がある(謎
 ところが、今回曹丕殿が不参加。そして曹操殿は何とかご参加いただけたのであるが。。。回線の経路がかなり不安定でブチブチ切断が頻繁に発生するってことで、マントを背負うのはかなり困難。
 こうなると、次の候補としては龐徳殿、司馬炎殿、私、となるわけであるが頼みの龐徳殿も姿が見えない。初戦の全体指揮を司馬炎殿にお願いした手前、残った選択肢は私が大将やるしかない。。。
 しかしそれでも副将役が足りない。そこで、許褚殿に副将役をお願いすることとした。曹操の親衛隊長許褚は三国志のお話。UO三国志での許褚殿は、いまや魏のニューリーダーであり、実力も申し分もないからだ。

 さて、なんやかんやで事前にかなりどたばたして、ようやく領土戦がはじまる。会戦前にかなり消耗してしまったが、果たして大将張郃の運命やいかに。

 (その2へ続く)


第45回領土戦などなど(その2) 2004/08/08(Sun) 10:41

【対蜀トリ防衛戦】
 蜀のアクトがのびていない。この時点で文官が5しかいなかったことで、果たして防衛しきれるかどうかが懸念されたのではあるが、蜀の人数が魏よりも少なかったことが唯一の救いであろうか。
 大将役なのでびくびく家の影に身をおいて全体戦況を把握しておく。副将役の許褚殿はタイプ的に本陣周辺で露出度を高くすると思ったので、私はなるべく自重することとする。
 いつものように魏本陣西側から南方面に侵攻してくる蜀。文官の層が薄いこの一戦では弓が魏の命綱だ。弓隊は文官と連携し蜀の最初の侵攻を防ぎとめるべく奮戦する。私もぬくぬくとしているのもいかがなものかと思ったので、突撃してきて後方を石壁で遮断し分断に成功した瀕死の呂布殿の介錯をしてさしあげた。本来弓なし武官を配置する予定だったのだがアクトがのびずその余裕がなかったので、私がその代わりをした、というわけだ(謎
 蜀の最初の第一波がひくのにあわせて前進するのはリスクを伴う。本陣周りの守りが薄くなりその隙を狙われる可能性が高くなるからだ。しかし、司馬炎殿より適切に指示がとび、魏の各将は本陣を中心に各方面においてうまく戦えていたので安心であった。
 第一波の次の焦点は北面と東面である。各方面のフィールド切れに注意しつつ、蜀将が勢力を集中してきた方面をIRCで報告。手薄なところにはすぐに援軍がかけつける、という感じでまずまずだったかも。ということで結果引き分け防衛成功。残りポイント5というところでなんとか踏ん張るトリ。相撲で言えば徳俵一枚という図式である。

【対蜀ダスタ侵攻戦】
 一戦目終わる前後からバラバラと参加者が増えてきた。文官も6人まで復活し、全体アクト数的にも最近の領土戦以上のアクトとなってきたのが嬉しかった。
 ダスタも残りポイント5。第一戦の感触から、今日は間違いなくダスタを落とすチャンスである。
 第一戦に引き続き大将役となる。それとともに全体指揮官も兼ねることとなった。侵攻戦での大将役はかなりのプレッシャーである。
 さて、今回のダスタ戦、作戦参謀郭淮殿の描いた筋書きにこれほどぴったりとはまった一戦はないだろう。第一戦の様子、アクト状況を鑑みるに、蜀が本陣で防衛体制を築くことは予想されたわけであるが、ポイントは侵攻部隊がうまく自重できるかどうかが鍵であった。
 まず先行部隊を派遣。この時点で蜀の体制を見極める。前回のように蜀が船を使ってこないことがわかれば、あとは全軍進撃である。
 最前線の様子がよくわからなかったのだけれど、最前線の部隊はどうやら蜀本陣付近で挟撃を受けたようだ。この挟撃にまわった部隊はもしかしたら大将たる私が狙いだったのかもしれない。
 最前線の武将の奮迅により蜀の豚が徐々に減っていく。会戦開始約9分。勝利条件ギリギリのところで豚完食に成功し、あとは大将・豚を守り抜くのみ。
 この間、魏本陣では、程殿、楊阜殿に守られた私がいた。
 最初しばらく安穏としていたのだが、開戦後約6分の時点で趙雲殿が現れた。大将の首狙い。。。しかしまだ一騎だし、守ってくれる文官陣もいるのでまだまだ心強い。
 意を決したか趙雲殿が突進してくる。家の影になった場所での応酬。趙雲vs張郃って蒼天航路そのままじゃんか!と、このシチュエーションを楽しみつつ、しかし死なないことに最大限の配慮を払う。
 趙雲殿が退却し一安心と思いきや、今度は公孫[王贊]殿に張紹殿まで現れた。名前が確認できたのは趙雲殿とあわせ3名。守る魏も3名。この間、魏の本隊は蜀の豚へ特攻中である。
 しかし逆に言えば蜀本陣の守りも、張紹殿をはじめ3名の蜀将がこちらへきてくれていることもあってその分薄いはずであり、とにかくなるべく早く豚食い成功して本隊が魏本陣へ戻ってきてくれることを祈るようにして待っていた。
 豚食い完食が時間の問題となったあたりから、魏本陣まわりの蜀将の数が増えてきた。それとともに魏将も本陣防衛に戻ってきた。
 ようやく安心できたのは、開戦後約10分強経過した魏本陣まわりの体制を整えなおすことができた時点である。
 最後は蜀大将・副将の討ち取りにも成功。作戦参謀郭淮殿にとって快心の一戦ではなかっただろうか。
 それにつけても、最後まで大将張郃の首を狙い、突進してきた趙雲殿の気概に敬服。同時に三国武将の真髄をも感じるほどであった。唯一。。。オークでさえなければ。。。

 (その3へ続く)


第45回領土戦などなど(その3) 2004/08/08(Sun) 12:00

【対呉ニジェ防衛戦】
 昨晩は三戦とも、都市ポイントが5しか残っていない戦場ばかりであり、三連戦な魏にとってかなりしんどい。リアルの疲れもでて個人的にかなりしんどくなったが気持ちだけでなんとかふんばる。 開戦直前龐徳殿が間に合った。前回のニジェ戦の様子をみるに、単にアクト差だけでないものを感じていただけに、龐徳殿の参加は心強いものがあった。アクト的にはほぼ同数。この一戦も、大将役&指揮官で臨むこととなった。
 複数のオプションが用意されたこの一戦。アクト数でほぼ同数ということもあってまずは防衛作戦を選択。
 今回呉の突っかけが早い。じっくり体制を整えて押してくるパターンではなかったので呉の体制がバラけることを期待したが甘かった。本陣東南のSSTの背後に爆弾官陸抗殿と弓隊が固まる。この部隊が魏本陣東側をごり押ししてくるパターンで前回魏本陣は崩壊した。
 そして今回。。。前回はほぼ全軍でこの東側から攻めあがってきた呉。しかし今回は体制を分けてきていて、魏本陣南面にも多く武将を残したままである。これに応戦しなければならないのだが、東側防衛がままならない。いまやここの防衛方法は魏のアキレス腱になってきている。
 SSTの裏に身をおいている私だったが、しっかりと祖茂殿からアタックメッセをいただいた。東側ではゴリゴリ押されてるし、狙われている(当たり前かw)のがはっきりわかって真夏だというのにかなりヒンヤリ。
 特に東方面からの圧力で段々身を置く場所がなくなってきた。

 曹休殿から「決断を」と。。。

 前回本陣離脱を指揮したとき、全軍浸透せずかなりの被がでたことが頭をよぎる。しかしこのままではジリ貧である。ならば・・・

 意を決して呉本陣へ向かうことを決断。
 持ち場を離れるタイミングをはかり一気に動く。
 先着したものから呉本陣で豚を食い始めるとともに仮陣をはる。
 前回とは異なり、今回は割りと移動はスムーズにできたようだ。
 魏の豚は完食されたものの、なんとか呉の豚も完食でき豚食い敗戦だけは相殺できた。曹操殿など4つも食ったということで(ゑ)、各将許容量限界まで豚を食い尽くす。

 しかしこの時点で既に9名の被が出ており、しかもまだ10分も経過していない。時間がたつのがかなり遅く感じられる。
 
 侵攻本陣は家並みの関係もあってかなり狭い。防衛本陣での被も大きくここで守りぬくことはかなりしんどそうなので、拠点はここにおきつつ、動き回ることでカバーすることとした。
 一瞬。船で脱出することも頭をよぎった。かなり魅力的な案とは思ったが、その案は自ら廃案とした。大将役の私がここで海に脱出するようでは魏の大将ではない。以前デン戦で蜀に敗戦を被った一戦で、なぜ曹操殿が船脱出を選択せず本陣にとどまりそのまま憤死の道を選んだか。
 呉の戦力が一箇所に集中することを避けるため呉の本陣を離れることとした。残り時間もかなり多いが、副将許褚殿もまだ健在。少しでも時間を稼ぎ、力尽きて倒れたらあとは許褚殿に委ねよう。
 途中呉本陣北側の家の更に北側にいたとき、駱統殿(だったかな?)が二軒の家の間の一本道を攻めあがってきた。向かいうつ魏将。ここで後ろから回り込めば逃げ道はない。そこで、一本道の南から回りこんで挟み撃ちに成功。。。が、それに気がついた呉将に逆に挟まれてしまった。一瞬まずいとおもったが、赤Pのんで辛くも脱出。大将役としては少し軽率な動きだったか。
 その後は、延々と狭いニジェ戦地を走り回った。パラを何度かけられたことか。罠箱あけまくり、POTのみまくり、途中で魏文官より身を犠牲にしてのヒールいただけたのはありがたかった。
 ひぃひぃいいつつニジェ戦地をかけまわる。間一髪で呉文官のフィールドをかわす。途中呉大将孫堅殿と何度も遭遇した。今更ながらだが、孫堅殿や曹操殿の気持ちがなんとなくわかったような気がする。
 魏の被14。戦的には惨敗である。しかしなんとか引き分けに持ち込むことが出来たのでとりあえずはよかった。


ドロケイ 2004/08/09(Mon) 10:34

 今回のイベントはドロケイ。魏イベントとしては2回目の実施となります。
 このドロケイ、単に追いかけっこな回線勝負のゲームのように見えますが実はさにあらず。とにかく追い方・コースどり・相手の動きを読んでの逆をとる動きなどの優劣で決まるゲームに他なりません。
 会場のニジェは障害物や袋小路がなく、そのため延々と直線コースでの競争となりがちです。そのため警察役の場合、単騎で追いかけても余程のことがないと追いつくことはできません。一緒に追いかけている仲間がいる場合、阿吽の呼吸で追いかける役と逃げる泥棒のコースを読んで先回りする役に別れるのがよさげですね。
 単騎の警察につかまる泥棒は、どこかで何かのミスをしているはずです。延々と直線コースを走っている間につかまった人はいないのでは?
 最近光全盛?な中で、私の回線はADSL12M。もちろん直線コースで泥棒に追いつき捕まえることなどできるはずもありません。でも工夫次第で泥棒を捕まえることは不可能ではありませんよ^^

 さて泥棒役となった二回目のゲームにハイライト。以前やったときも15分逃げ切り成功しましたが、このときは気づかれにくい場所にじっとしていて時間切れに成功したということで、今回も同じ作戦で臨むこととしました。今回潜んだ場所は、以前羊コ殿がいた場所で、15分間一度も誰も確認にこなかった、というとある場所。
 追い掛けまわされるのは領土戦で十分堪能したのでもう結構。誰もくるなよ〜誰もくるな〜との祈りも通ぜず、いきなり曹操様に発見されるw
 町の大通りに逃げ出すと、他の警察役の方にも見つかって大変になるので、しばしニジェの片隅の家のまわりをぐるぐる回って逃げることに。曹操様もいろいろ考え、右まわり左まわり、フェイントかけての時間差攻撃などなど・・・延々とまわり続け、張合βはついにバターになってしまいました・・・なわけはなく、このまま15分はしんどいなあ、と思ってたところ警察の援軍諸葛誕殿現る!
 これはまずい・・・ということでそそくさとその場を離脱。幸いにも気づかれなかったようで、なんとなく追っ手をまくことができた模様。
 しかし、その間味方の泥棒陣は私以外全員逮捕されてしまったとのことで救出に向かおうと考え、まず赤ローブ入りバッグをまるごと抱え状況をうかがっていると、今度は于禁殿に発見されてしまいました。そそくさと逃げ出しているうちに更に賈言羽殿にも発見されてかなり厳しい状況にw。
 窮余の策。パラブロウセット。
 賈言羽殿にパラをかけられるとどんなに迅速に罠解除したところでどうしても足が一歩止まってしまうので、于禁殿との接触は免れることはできなさそうです。そこでパラブロウ。于禁殿から出血を入れられないことを祈りつつ逆にパラブロウで足止めし距離をとる。一度袋小路に入ってしまったときはぬかったと思ったが、幸いにも出血攻撃回避成功。なんとかかんとか振り切ったと思ったが、今度は許チョ殿が現わる!
 留置場には警察が大勢いるようで特攻は厳しそうである上、まずは目の前の許チョ殿から逃げ切らないと逮捕されてしまう。幸いにも許チョ殿単騎なのでミスしなければこのまま逃げ切りは可能・・・と、最後の最後で警察大勢表れましたがなんとか時間切れ逃げ切り〜

 なにはともあれイベントお疲れ様でした。

 ***************

 イベント終了後、飛鳥で10人目のキャラの同期上げを行うため海に出た。深夜の単調作業はなかなか堪える。ミスして同期が崩れ、それを補正する元気もないのでUO落ち。日記かいてたら、いよいよ厳しくそのまま寝落ち。気がついたら朝になってていつもの通勤電車に遅刻してしまった・・・


海での出来事 2004/08/10(Tue) 10:17

 さて夜も2時をまわりようやくログインできた昨晩のこと。
 10番目のキャラの同期上げを一昨晩に引き続き実施。海上で単騎船にのりタンバリンをかき鳴らしながら魔法を唱えておりました。
 例によって単純作業はかなりこたえる。しかし、ここを踏ん張って魔法スキル上げてしまえば、後が楽なので疲れ目をこすりながらがんばっていたところ。。。

 ガツン!

 大海の真ん中を南下する私の船に強烈な衝撃が走った。みると南方より北上してきた船ともろに正面衝突しておりました。船に損傷はないか、浸水はしていないか、乗員は海に投げ出されてはいないか、救命ボードで脱出しなくてよいか、などとリアルであったら大騒ぎとなるところですが、幸いにもここはブリタニアの世界。
 そそくさと進路をずらして再度前進しようとしたところ・・・

 なんと南方から北上してきた船にのっていたのは程イク殿でありました!

 なんという偶然!まるで、海外でヒッチハイクしているときに偶然友人に遭遇したようなもんです。

 (てか、単にそれだけのことなんですけどね)


すれ違い 2004/08/11(Wed) 10:32

 最近平日の活動に全くといっていいほど参加できていない張合βです。帰宅時間が遅いのと、テンション低い日もあったりする日はログインもしないので、もう既に忘れ去られているのではないかと心配になったりします(笑。

 さて、今週になって仕事の調子もよく、どよっとした得体のしれない不安感もなんとなく影をひそめ気分的には上々。帰宅後(風呂入って)そそくさとログインした時間は2時少し前でしたか。
 火曜日定番侵攻先発表もすでに終了しており、どうやら現地検証もしたらしく、大体皆さん落ちられたあとという状況っぽい。
 活動時間は人まちまちで、最近夜中の2時過ぎたあたりで元気なのは程イク殿に夏候和殿。特に夏候和殿は、私がログインするタイミングと大体同じタイミングでいつもログインしてくるので、もしかして同業者でしょうか(謎

 さて、次回領土戦の侵攻先発表であります。前回の領土戦でダスタを落とせたため蜀の首都にリーチがかかっておりました。今回蜀の首都攻めを行うかどうかが懸案でありましたが、どうやら会議の結果は遂に蜀の首都ジェローム攻めをすることとなったとのこと。第一回領土戦にていきなりブリを攻め落とされ、デスパイスに侵攻をかけられていた状況からすれば隔世の感があります。
 呉はニジェ、蜀はトリ。対呉という観点からすれば、ここのところのニジェでの劣勢をどう持ち直すことができるかがポイントです。蜀とのトリ戦はジェローム攻略を行う上での大前提。ここを落とされては全くお話になりません。今まで磐石だったトリ戦地防衛。ミノックとならぶ魏の防衛拠点たるトリ。これまでの戦果に甘んずることなく、しっかりと戦うことがこれまで以上に必要でしょう。

 リアル状況もかなり厳しく、正直いうとここ数週間毎日のように、いつ脱退届を出そうかと悩んでいた毎日でした。しかし、UO三国志〜参〜も残すところあと3週。せっかくここまで頑張ってきたのだから、最後まで頑張ってみるつもりです。


久々に 2004/08/12(Thu) 10:12

 久々に早く帰宅し、なんと0時前にはログインできたという奇跡が起きた。別にアテネ五輪の女子サッカー対スウェーデン戦が0時から始まることと関係はない。そして、女子サッカーで奇跡の勝利を得たこととも関係はない。

 さて、女子サッカーを横目にみつつ10人目のキャラ育成。海に出て何日目になるだろう、毎日少しずつしかできないのでなかなか同期上げが終了しない状況であったのだが、ようやく時間ができた昨晩、魔法と瞑想がついにGMになった(ちなみにフォーカスと楽器もw)。
 とはいいつつ、このキャラ、実はどんなキャラにするかいまだに決めていなかったり。とりあえず魔法と瞑想とレジを上げている状況であるが、さあ、このあとどうしよう(苦笑
 とりあえず最近のトレンド?の弓を入れることだけは決めたつもりだが、それで一体何で遊ぶキャラにするかのイメージがないため、今現在迷走中だったりする。

 ***************

 少し時間があったので、UO三国志〜参〜の魏関係のこれまでのデータを調べてみたところ、第45回領土戦まで、魏の会戦数は90。領土が拡大した以降3連戦も当たり前の状態が続いていて三国中一番多い。(蜀79、呉78)
 私は第三回領土戦がデビューではあるが、会戦参加数はなんと84で魏国の中で一番多かった。蜀と呉の方で、仮に皆勤賞な方がいたとしても、私の参加数84より上回ることはないことから、三国中最も数多く領土戦に参加した人、ということで言えば、間違いなく私が一番であるw
 これはある意味、土曜日の夜一番暇だった人、という称号なのかもしれないと思うと、誇るに誇れないデータかもしれない(苦笑

 次にこれまで魏に武将登録した人の数を調べてみたところ(同じ人が一旦引退して復帰の場合、武将変更の場合は一人としてカウント)、なんと101名(数え間違いがあるかもしれない)に上った。呉と蜀の人数は数えていないが、単純に3倍しても約300人。つまり、この約一年の間に300人もの方が、UO三国志の世界に大なり小なり踏み入れたということとなる。
 飛鳥鯖の人口がどのくらいかはわからないが、なんとなくこの300人ってのはかなり凄いような気がする。

 だから何ってわけではないですが、・・・単に調べてみた、というだけですけどね・・・

賈言羽@愛の文官 > さすが張合β様です、魏の大黒柱です(ノд`)そんな張合β様の脱退届けなんて、受理しませんよ、ぇぇ!(職権乱用)もうちょっと気楽に、「魏は俺がいないとダメなんだ」くらいにどっしりと構えてくだしあ!残り頑張りましょ〜ね^^ (08/12 21:25)

おいらのアドオンマスター 2004/08/13(Fri) 10:20

 偶然にもアテネ五輪日本対パラグアイ戦に間に合うタイミングで帰宅でき、そそくさとバルクもらい細工をGGSで上げ、即効観戦モードに突入(何・・・

 !

 「細工をGGSで上げ」「細工をGGSで上げ」「細工をGGSで上げ」・・・

 ふと気がつくと、なんと昨晩の細工上げで遂に細工がGMに!
 日記をさかのぼってみると、6月上旬細工スキルは93との記録があった。あれから約二ヶ月。たとえ亀の速度でもちゃんとゴールに到達できた。細工GMは諸般の都合により飛鳥鯖で二人目なので、特に急ぐ必要もなかったのだが、これはこれで一つの達成感である。
 さて、細工スキルがGMになったということで、おいらのアドオンマスター見習いのスキル構成は、

 採掘 100
 鍛冶 120
 裁縫 100
 大工 100
 音楽  45
 細工 100
 魔法  65(↑)
 余り  85

という状況である。あとは赤い魔方陣をつくれるようにするために魔法を75まで上げれば、アドオンマスター見習いからアドオンマスターに昇格ってことになるのかな。


第46回領土戦などなど 2004/08/15(Sun) 10:04

 アテネオリンピックがはじまった。いったいいくつの感動とめぐり合えることができるだろうか。4年にたった一度のスポーツの祭典は、三国武官張郃の集中力をかなりの部分麻痺させるだけの魅力を十二分に有しているのである(謎
 お願いだから土曜日の夜の中継はやめてくれ〜
 楽しみにしていた柔道の準決勝と決勝がみれなかったよ><

 **************

【対蜀ジェロ侵攻戦】
 今回10分以内に大将・副将を落とした上で、トリンシックが防衛できれば蜀は滅亡する。と、理屈の上ではそうではあるが、まず10分以内の大将・副将落としというのは、ここのところの蜀との戦いぶりを振り返るにつけ余程のことがないと成功するわけもないいうことが想像された・・・のだが、蜀のアクトが伸びていない。
 領土戦開始の鐘の音とともに進撃する魏軍。蜀本陣にて激突し、蜀将に被が出始め、蜀大将船にて脱出との報告。
 開始前はよもやと思った蜀滅亡の文字がやおら現実感をもって感じられた瞬間、蜀の船にフィールドが焚かれてしまった。当然ながらルール違反である。
 運営の裁定を仰ぐまでのこともなく自ら敗戦を宣言し、UO三国志〜参〜の歴史となるかもしれなかったこの日のジェロ戦は開始4分で終了となった。
 ルール違反を故意にやる人はいない(やる人がいたら除名の対象だ)。大概ルールを十分に理解していないか、誤操作に起因するものである。
 前者の場合、当事者だけの問題ではなく、特にUO三国志の経験の浅い方に対してのルール指導が十分であったかどうかも当然問題であろう。
 いずれにせよ、週に一度の領土戦の折角の機会。楽しく遊ぶためにはルール遵守は大前提であることを、各自胸にしっかりとおさめて欲しいな、と思った。

 さて、ルール違反ではあったが、蜀の版図は現状のままとあいなった。UO三国志〜参〜終了まであと3週で迎えた昨晩の段階での蜀ジェロ攻めは、個人的にはあまり気がすすまなかったこともあり、内容はともかく少しほっとした自分がいるのも確かなことであった。

【対呉ニジェ防衛戦】
 曹操様の回線が不調ということと、侵攻戦ということもあって初戦のジェロ戦では大将役をすることにしたのだが、やはり魏の大将は曹操様、曹丕様でないとしっくりこない。
 防衛戦であることから曹操様に大将役をお願いし、副将役をホウ悳殿にお願いしようとしたらなんと落ちちゃったという><
 はてさてどうしよう。。。と思っていたら、文聘殿が副将志願された! 文聘殿といえば、記念すべき第一回領土戦において魏の副将・大将を歴任されたUO三国志〜参〜魏国の最古参の猛将である(オーク隊隊長でもある。でも中身はお若い方ですけどねw)。
 ちなみに、今回から爆弾官は賈詡殿である。曹植殿脱退を受け、爆弾官志願していただいた。
 作戦参謀郭淮殿、イベント毎週がんばって企画してくれてる許褚殿、文鴦殿をはじめ、どんどん自分から積極的に活動する方々が今の魏の屋台骨を支えている。
 さてニジェ戦。アクト的にはほぼ同数?
 アクト的に同数であっても、ここのところニジェ戦地ではうまく戦えない。フィールド戦で互角にわたりあえない(いつも押し込まれる)ところが原因になっている。
 段取りどおり呉の豚を食いにいく。と呉が本陣に立てこもっていた。これはしめしめ、と思っていたら、そのうち呉は本陣から離脱を始める。どうやら魏の豚食いにでかけたようだ。魏本陣へ向かう呉将の中に孫堅大将を発見したので魏chで報告して一緒についていく・・・が、まわりがオレンジネームだらけだったのでやめて魏本陣に向かうと、呉の豚も完食していて豚食い敗戦はなくなった。
 ここまでは概ね段取りどおりうまくいっているのでさぁこれから陣形を整えて・・・と思ったところ曹操様がフィールドにひっかけられて集中砲火を受けて撃沈した。開始4分のことである。
 残るは文聘副将のみ。残り時間はかなりある。
 呉本陣上の空間にて体制を整え応戦するが、どうにもフィールド戦での分が悪く、じりじりと前進されてくる。呉大将孫堅殿を目指し呉の進軍体制の後方に回り込む。孫堅殿の姿を確認し、居場所を魏chにて報告するが、集中砲火あびせるだけの戦力が既にない。
 最後は文聘殿が落とされ、ニジェは落ちた。
 それにしても。ニジェ奪取したのは4月24日の第30回領土戦でのこと。あれからかれこれ約4ヶ月。この狭いニジェ戦地にて8回目もの防衛戦を行うとは、ニジェ戦地を最初に視察したときには思ってもみなかったことである。

 (その2へ続く)



第46回領土戦などなど(その2) 2004/08/15(Sun) 12:48

【対蜀トリ防衛戦】
 ジェロ侵攻の芽を残すためにも、トリは防衛しなければならない。ミノックとならぶ要衝トリンシック。首の皮一枚ではあるが、何とか防衛するべし!
 いつものように(謎)、魏本陣西方面に体制を築き、押してこようとする蜀に対し、本陣南面にて防衛する魏。蜀の上方、後方より挟撃にかかる魏の武官陣。
 正面から攻めきれないとみたか蜀がひいていく。が、そこを押し込む魏。結果劉禅大将討ち取りで魏勝利。二連敗となっていたこの日の領土戦。最後の一戦にてかろうじて勝利を得ることができた。

 *************

 領土戦も終わり、ときは丑三つ時・・・???
 魏chで暇な人を探していたので返事したらコイという。
 どうやら3onして遊ぶのに人数が一人足りないらしい。
 ということで、顔出してきました。
 楊阜殿、程殿、辛田比殿の文官陣に曹休殿、羊祜殿の武官陣。
 わたしも入れて6名ほどで、呉GH前のふれあい広場をお借りして3onして遊びました。
 チーム組み換えしつつ数戦やっていたら、もう4時すぎ?に呉の面々が大勢GHへご帰還。
 そこで呉vs魏で4onすることに。
 しかしみんな、夜遅いのに元気だな〜




 オマエモナー と言われそうだ


文鴦と于禁を探せ! 2004/08/16(Mon) 09:56

 日曜日の夜は定例イベント。
 魏の役職として新たに設けられた「催事校尉」の文鴦殿と許ネ'者殿が毎週様々なイベントを企画してくれて感謝感謝。今週も楽しく遊ばせていただきました。
 今週のイベントは「文鴦と于禁を探せ!」ということで、簡単に言えば捜索イベント。トラメルのどこかに拉致された文鴦殿、于禁殿が拉致現場の場所に関するヒントを出していき、そのヒントをもとに現場にたどり着くというゲームであります。

 さていよいよゲーム開始。
 ゲーム開始10分前にキャラつくったばかりの新規参加の夏候威殿とペアを組み、まずは拉致された文鴦殿の居場所を探します。

第一回戦「文鴦殿を探せ!」
 第一ヒント「蜘蛛の巣があり、本が散乱している空き家」
  (注:ヒントの表現は正確に再現されてません)

 さて、これだけではまるでわかりません。あちこちにあるような気もしますが、かといってすぐに思いつきません。

 第二ヒント「近くに別荘のような建物がある」

 これでもまるでわからない。。。魔女クエストのグリゼルダの家(グリゼルダがいるので少なくとも空き家ではないから違うと思いつつ)かと思い、いってみると、何組ものライバルチームと遭遇w どうやら同じことを考えていたようですが皆空振りに終わってます。

 第三ヒント「垣根がたくさんある」

 垣根、垣根・・・頭に浮かんだのは木でつくられた牧場の囲い・・・でもまるで見当違いでした・・・
 まるでひらめかないので、ムーンゲートの付近に移動して、わかったらすぐに移動できるようにしておきました。

 第四ヒント「赤悪魔と小悪魔・・・」(だったかな??なんかヒントがもう一つあったようなw)

 ハイ、これではっきりわかりました。場所は大迷路の中の家でしたね。ということですがここからが一苦労。場所ははっきりわかったのですが、たどりつくには迷路を突破しなければなりません。しかもテレポの使えない三国武官。なんとかかんとか苦労の末、ようやく迷路を突破したどり着いてみれば全体で3着でありました。

※ ここで一言。もしかしたら今回のイベント、私がスタッフやるかもしれないってことで、潜伏場所をあらかじめ考えておりました。その場所は。。。なんと、この大迷路でありました。ただし、私がマークしたのは大迷路真ん中の家ではなくて、西側にある彫像のたっている神殿風の場所。ということで、この大迷路、実ははっきりと認識していたわけですが。。。それがかえって盲点になったかもです。

第二回戦「于禁殿を探せ!」
 さて今回優勝チームにはもれなく20万gp、第二位チームには10万gp、第三位チームには5万gpの賞金が授与されるってことで、各チーム目の色が変わってきたようですw

 第一ヒント「一歩も動けず身動きできない・・・」

 ヒントと同様各チーム動きません(笑
 一歩も動けない場所といえば。。。最初にイメージしたのは今やもういけないはずのミノック鉱山の山肌のポイントが最初に頭に浮かんでしまいました。ゲートからそう遠くないのでいってみることにしましたがやはり間違いw

 第二ヒント「山の中で寒い・・・」

 寒いということで頭に浮かんだのは雪原の風景。トラメル限定ということですがデシートは範囲外。残る可能性のあるアイス1Fとロストランドの北極に身動きできない場所があっただろうか。。。
 いずれもゲートから遠そうだったので冒険は避けることにして次のヒントを待ちます。

 第三ヒント「滝がある」

 滝!このヒントで思いついたのはトリンシック近辺の秘密の魔法屋のある場所の付近に確か滝があった。。。
 ゲートも近いのでとりあえず向かってみました。ところが、記憶があいまいで、秘密の魔法屋のある谷間に入り込む入り口の方にいってしまい、「滝がない・・・」ということで呆然。いったんゲートまで戻り滝ということで情報検索するものの決定打がありません。

 第四ヒント「山の谷に魔法屋」

 やはり秘密の魔法屋の付近にあるはずの滝のあたりのようです。もう一度秘密の魔法屋の付近にでかけていったところ・・・発見w
 結局ここでも第三着でありました。

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 さて、結果発表。優勝賞金20万gpは、総得点ダントツで許チョ殿、曹休殿、羊コ殿チーム。そして第二位は。。。なんと我がチームを含む3チームが同点2位!
 第二位の10万gp、第三位の5万gpの賞金をかけて3チームによるサイコロ決戦の結果、なんと我がチーム堂々の第四位・・・

 ということでサイコロ勝負の弱さを露呈したところで無事イベント終了〜みなさまお疲れ様でした。


心に残る一言 2004/08/16(Mon) 18:49

 日曜日の昼下がりのこと。
 魏chに曹植殿が現れた。
 入院してる病院から脱獄?してきたとのことで、脱獄2回目だそうだ(謎
 たまたま曹叡殿も魏chにいて、あたかも数ヶ月前の魏chのフラッシュバックかと思うような・・・

 爆弾官の両先輩から賈言羽殿が秘伝を伝授される。作戦参謀郭淮殿の奮闘ぶりに話題が集まる。以前と変わりない魏chの風景・・・曹植殿も曹叡殿も今UOすらできない状況である。しかし、それぞれの事情は違えども、こうやってできる範囲で顔を出してくれている。

 一年間というのは短いようでけっこう長いものである。この一年コンスタントに参加できた方はそうそう多くない。リアル状況の変化にともない、ときに離脱せざるを得ないことも数多くある。

 先日、UO三国志公式HPの過去ログをひっくりかえし、これまで魏に所属したことのある方々の武将名とHNをピックアップしてみたところ、昨日登録された夏候威殿を加えると102名にも上った。
 私が参加する以前に離脱してしまった方は残念ながら知る由もないが、それ以降参加された方々の多くは多かれ少なかれ言葉をかわしたことのある方ばかりだ。(勧誘も数多くやったし、新しい方に対するオリエンテーション役をよくやっていたからだ)
 ネット環境を維持できなくなったり、勉学に専念したり、様々な事情を背景に抱えつつ、やむをえずUO三国志から離脱せざるをえない方々が数多くいた。

 「UOやりたくてもできない環境の人もいるってこと忘れないで」

 曹植殿の言葉が心にしみる。


Pub26 2004/08/18(Wed) 21:34

 どうやら本日Pub18が導入されているらしい。
 とはいいつつUOできないのでよくわからないのではあるが・・・

 今回のPubは、モンスの戦利品に関するもののようだ。UO三国志にはまるで関係なさそうな模様。ということで、あまり注目するような内容は含まれていないですね。

 ・・・

 まぁ、たとえ物凄い内容が含まれていたとしても、UOできなきゃそれまでですが。。。

賈言羽@愛の文官 > ぱぶ18(´д`)どんなのだっけ、覚えてないやw (08/19 00:38)
choco > げ・・・pub26・・・なんで間違えたんだろう(謎 (08/19 02:15)

極端・・・ 2004/08/20(Fri) 09:44

 相変わらず週末に近づけば近づくほどへたっている張合βです。みなさまお元気でいらっしゃいますでしょうか(涙
 ここのところ(といっても一ヶ月くらいずっとそうだのだが)帰宅して風呂入ってほっと一息つくことのできるのは夜中の2時台という日がほとんどなため、ここのところのUOプレイ時間はかなり減っておりまして、極論すれば、バルクもらって気のついたスキルをGGSでちょいと上げるくらいが関の山であります。

 さて、昨晩も帰宅して(風呂はいって)ほっと一息ついたのは夜中の2時すぎだったでしょうか。もうほんの10分だけ・・・ということでログインしてバルクもらって、テイムスキルだけ0.1あげよう・・・とブルをテイムしにいきました。
 デルシアでさくっとスキルが上がればよかったのですが、なかなかあがらない。仕方ないのでヴェスパーにでかけて北の森でブルみつけてテイムしておりました。
 すると、木陰からこちらをタゲしてくる怪しい影・・・リザードマン!
 メアぶっつけてそれでおしまいなわけですが、そういえばPub26入ったんだよなあ。。。と思い棺おけあさってみたところ、ドラ特攻の武器が。。。

 ほほぉ。。。これはこれは。。。ということで、ならばちょっと視察にいってみようと、シェイム4Fをまず視察。

 うは〜混雑・・・

 次にダスタ。

 おしあいへしあいテイマーだらけw

 この分だと、アイスのWWとかデスパのOLとかブラッドの血エレとか、一日中独占する人とかでてきそうだなあ・・・転送バッグあるし・・・などと思いかなり鬱。

 モンスのアイテム増えるとかアイテムの質がよくなるとか、まぁかまわないけれど、例によって狩場の厨坊が増殖繁殖しそうでもうげんなり。

 早く夏休みおわらんかな・・・(ボソ

許ネ'者 > 狩りしないから関係ないが夏休みは終わってくれ(´Д⊂ (08/20 13:06)

第47回領土戦などなど 2004/08/22(Sun) 09:37

 残すところあと2回となった領土戦。気分もぐぐっと盛り上げていかなきゃならんところでしたが、いかんせん体調絶不調。ここのところのリアル激務の疲労だろうか、頭痛、発熱、吐き気、腹痛・・・目はぼやけてパソコン画面が二重にみえる。。。

 こ。これは最悪だ・・・

 まぁ私自身のことはどうでもいいのだが、魏全体としては、曹植殿が無事退院しめでたく復帰、ホウ悳殿も復帰、そして、曹丕殿、曹操殿の両殿も肩を並べ、なんかひさびさにみるオールスター勢ぞろいという状況でした。
 全体のアクトもひさびさの30台。ようやくここまで復活してきたか。。。という印象です。

【対呉デシート防衛戦】
 第一戦開始時点でのアクトは25にもいっていなかったでしょうか。曹操殿も未だ登場せず、との状況であったため、副将役を担うことといたしました。
 本陣に篭って体制固める作戦ではなく討って出るという作戦とした今回のデシート戦ですが、画面もぼやけてみえる状態だったので、一人で戦場のすみっこに行っておとなしくしていよう・・・と思い、魏の全軍が進撃するのに相反して、一人魏の本陣の奥へ向かおうととよたよたと走っていたら、なんと目の前に呂範殿、そしてわらわらと呉将の面々が集まってくるではないですか。

 こりゃ飛んで火にいるなんとやら

 開始早々副将死亡ってのも冴えないので、ひたすら魏メンがいるとこに向けて逃げ出すw
 魏の豚が早々に完食され、仕方ないので呉の豚を食すことに。なんとかかんとか呉の豚を完食したものの、呉の本陣あたりに封じ込められる状況となってしまいました。
 さて、ここからが正念場だ・・・と思っていたら、魏本陣あたりに赤発生との報。ギルド名を聞いてひとたび安心したものの、なにかの間違いか攻撃を受けて死者が出たらしい。。。ということで一旦撤退とあいなりました。
 どうやら攻撃を受けたのは、ちょっとした間違い(謎)だったらしく直ちに再戦という結果となりましたが、実はこのために遅れてきた魏将の参加も可能となってアクト的に大いに盛り返すことができたのはラッキーとしかいいようがなかったかもしれません。
 特に、曹操殿が間に合ったのは、体調不良でどうやって役から逃れようかと四苦八苦していた私にとって(何)まさに救いの神でした。

【対呉デシート防衛戦(再戦)】
 作戦は同じ。しかし最初の戦いを踏まえ少し修正。
 今度はマント背負ってないので最前線に陣取ります。すぐに死んでも構わないのは気分的にかなり楽でありました。
 開始早々遮二無二突進。20分間戦いきるのはかなりきついので狙いは一つ呉大将孫堅殿の首。
 魏本陣に向けて進撃する呉将の中に孫堅殿の姿を発見したので、さっそく報告し追撃するものの、呉のフィールドで固められた魏本陣の中に逃げ込まれ、その直後魏の豚は完食される。
 ここで、呉の豚食わなくていいのか???との曹休殿の進言でしたが・・・あえて豚食い指令は出しませんでした。昨晩の初戦を踏まえ、呉陣で豚くってる間に外から封じ込められることを避けたためです。戦線は戦地全体に広がった方がありがたい。必ずしや孫堅殿の周囲に隙がでるはずだ。という心境でしたが。。。ちと余裕がなくて説明できなかったので、そのために死亡してしまった方をはじめ全軍に混乱が生じたかも(反省
 魏が豚を食っていないので、呉は豚防衛にもどってくると踏んで、その間隙が狙い・・・と思い、ひたすら孫堅殿を探すもののみつからず。その間呉本陣は着々と防御体制が築かれ、ちと厳しいことになってきました。こうなってしまうのであれば豚食いしとけばよかったかな。。。と後悔の念が頭をよぎるが、いあいあいあ、初志貫徹!狙いはあくまでも孫堅殿の首のみ!
 なんとかかんとか孫堅殿のお姿を再び拝見できたときには既に呉本陣の中。ではありますが、ようやく目標がはっきり確認できたことを大きく、呉本陣への攻撃を集中することに。
 半島先端の呉本陣の防御体制を俯瞰するに、画面上側に陸抗殿、周瑜殿を中心とした防御陣がひかれていることを確認。守りが堅そうでなかなか堅陣である。一方画面下側にいってみると、孫堅殿の姿を発見。しかしこちら側は比較的守りが薄く、隙がありそう。
 孫堅殿の居場所を再び全軍に報告するとともに、画面下側に戦力を集中させることとしたところ、魏の誇るボーラ官司馬朗殿ロックオン!の報告。孫堅殿に集中攻撃。うまく本陣から引き離すことができ、ひたすら居場所報告しつつ追撃。

 結果、どなたかのLTがトドメとなり、呉相手にひさびさの勝利となりました。一応指揮官のつもりでしたが、ろくろく指揮もしなくてすみませんでした。まぁ私はせいぜいこの程度なのですよ。

 (その2へ続く)


第47回領土戦などなど(その2) 2004/08/22(Sun) 10:50

【対蜀トリンシック防衛戦】
 第47回領土戦のメインイベントはなんといっても第三戦のジェロ侵攻戦。10分以内大将・副将討ち取りとなれば蜀は滅亡となります。
 先週アクトが伸びなかった蜀ですが、今回は持ち直してきているので、蜀の意気込みの感触を掴む上で、ある意味ジェロ侵攻戦の前哨戦となる戦いです。

 いつものように魏本陣西側から侵攻してくる蜀に対し、本陣防衛しながら側面をつこうとする魏。蜀の最後尾には劉備殿が馬下りっぱなしでボーラの威力を発揮しまくりであったため、なんとか劉備殿を排除したい、という思いが無茶をしました。
 何度か攻撃をしかけそのたびにボーラで落とされ逃げ帰るという繰り返しをしていたわけですが、どうやら途中で張紹殿でしょうか、逃げ道の途中にEFはってらっしゃったのが誤算でしたw
 ちょっと過信したこともあるでしょう、集中力もかなり散漫だったと思います。領土戦でマント背負わない状況での死亡はいつ以来だろう・・・開始7分張合β死亡。
 あとは無言の声援を送るのみ。がんばれがんばれ。
 みるところ本陣の守りが薄そうで心配な上、副将曹操殿が討ち取られ、なおかつ曹丕殿の馬も死亡・・・堅陣トリが落ちるとはまるで考えていなかっただけに、雰囲気が悪いのではらはらどきどき。蜀将の気合はいつになく厳しいものがあるようです。
 しかしなんとかかんとか凌ぎきりトリ防衛成功でほっと一息。この戦いでの引き分けは、よしとせんといかんでしょう。それと同時に・・・個人的には一番ダメっぽい戦でしたね(猛反省

【対蜀ジェロ侵攻戦】
 さて、UO三国志〜参〜の歴史に残る日となるかどうかのジェロ侵攻戦であります。
 トリ防衛戦の状況、そして前回のジェロ侵攻戦の状況を踏まえるに、蜀がおとなしく防衛本陣にいるとはまず考えられなかったわけですが・・・
 張合βは最前線を走りぬく隊にいました。開始早々陸路を突進。蜀陣に蜀将が数名いるのを発見しましたが、名前の密度がまばらだったので、やはり蜀本隊は船で移動・・・と思ったところ、画面の端に蜀副将劉邦殿が単騎でいるのを発見。
 なんでこんなところに・・・と驚きつつ、先発部隊の魏将数名で劉封殿討ち取りに成功したのは開始後約2分のこと。
 同時に魏本陣へ蜀本隊が船で襲撃しており、魏本陣へ至急戻れ!との報。
 さぁ魏本陣の防衛にまわろう・・・と思っていたらなんと三国chで蜀大将死亡の報が・・・
 司馬師殿殊勲であったとのことだが一体なにが起きたのだろうか。少なくとも、10分時間をかけてしまえば一週でジェロ陥落はないので、粘ってくると予想していたのですが・・・
 ところがどうやら、魏大将曹丕殿もほぼ同時に討ち取られたようであり、かなり微妙なこととなってしまいました。が、結果はやはり三国chでの報告関係で判断せざるを得ないでしょう。
 最後の最後ですっきりしないこととなってしまったことはちょっと残念です。

 領土戦の後、三国chにて孔明様から次のようなお言葉がありました。

01:58 (Koumei) 一年間、魏呉といろいろとありましたけど
01:58 (Koumei) 蜀代表して言わせてもらいます
01:58 (Koumei) うやむやや、なんかぱっとしない戦いもありましたけど
01:58 (Koumei) そんなちっちゃなこと関係なしに
01:59 (Koumei) 魏呉蜀三国
01:59 (Koumei) 楽しくやりあえたこと
01:59 (Koumei) ほこりに思っております
01:59 (Koumei) 今日をもって蜀という国はなくなりましたが
01:59 (Koumei) 魏呉の方、UO三国志参に
01:59 (Koumei) 蜀という国があったことをお忘れなきよう
01:59 (Koumei) 心の中では天下統一だった孔明でした
01:59 (Koumei) 一年間ありがとうヽ(´▽`)/

 しっかりと受け止めたいと考えています。


三国オリンピック 2004/08/23(Mon) 03:06

 毎週定例魏国イベントということで、今週のお題は「三国オリンピック」であります。あたかもアテネ五輪の真っ最中ということですが、肝心の競技種目が明らかにされない中、果たしてどんな戦いになりますでしょうか。

 領土戦もそうですが、イベント関係も欠かさず出席をモットーとする超暇人張合βではありますが、この日はちと仕事が残っていて必死でこなすものの開始時刻に間に合うかどうかギリギリ・・・
 あぁ昼間寝なきゃよかった・・・いあ予定より寝過ごした。。。
 と反省しても後の祭り。
 悩みに悩んで、ついにイベント出席を選択!(オイオイ

 **********

【第一の種目 ランタンレース】
 ずらっと並べてあるランタンを順番に点灯し折り返し後は消灯していき速度を競うレースであります。1対1で競い合ってのトーナメントでメダルを争います。
 さて一回戦。対戦相手は徐晃殿。スタートに出遅れそのまま差を詰めきれずに敗戦・・・
 三国オリンピックは参加することに意義があるのだ。と思いつつ一回戦敗退は辛いなあ。。。と思っていたら、一回戦勝者の谷利殿が回線不調でリタイアされたため、敗者復活の枠を得た!
 ということで一度死んだ張合βですが、再挑戦の二回戦の相手は・・・なんと一回戦で敗れた徐晃殿とリベンジマッチw
 一回戦歩くモードにしていたので移動速度にかけたことを反省し、移動は一気に、そして同じ位置から複数のランタンへの点灯・消灯をこころがけることで臨んだ第二戦。うまくリベンジ果たすことができ運良く勝利。
 続く準決勝の対戦相手は朱桓殿。往路はやや出遅れたか、しかし差は僅差。復路の操作がうまくいき、僅差で抜き返しなんとか勝利を得て、なんと思わぬ決勝進出w
 決勝戦の相手は辛田比殿。ここまでかなり順調に勝ち上がっている感があり、強敵であります。
 ここまでの3回のトライアルにて、うまく狙いの位置にたてば、一度に3つのランタンを点灯・消灯することが可能。ともすれば4つもいけそうだったがあまり狙うと空振りになるので危険。という風に感じたので、ランタン3つを1セットに、移動はすばやく、位置を固定しランタンクリックを迅速に。
 コツをうまくつかめたか、決勝戦は一番の出来となり、なんとびっくり第一種目優勝となりましたw

【第二種目 着せ替えケーキ運びレース?】
 箱の中にある服を身に着け、斧を手に取り3つの箱のどれかに入っているケーキをみつけてゴールの机に置く速度を競うレースです。
 一回戦。夏侯覇殿と徐晃殿が対戦相手。3人の中で一位をとれば決勝進出であります。着やすい服にあたったのが幸運でした。序盤でリードでき、ケーキ探しに少し手間取ったものの、うまく一位となれました。
 決勝ラウンド。胡烈殿、諸葛誕殿が勝ちあがってきており迎えた決勝戦。今回も服の種類に恵まれたようです。ケーキも最初に壊した箱に入っていて、どうやら幸運の女神が微笑んでくれた模様。
 ということで、なんとびっくりここまで二冠達成。

【鉱石運びレース】
 バグ・ボールをもう少し練習しておけばよかった・・・と思うこのレース。まさにスタックされた大鉱石をドリブルでゴールへ運ぶというものです。
 第一回戦。胡烈殿、孫静殿と同じ組になりました。操作ミスをするとかなりの時間ロスにつながりそうなので、あわてずさわがず確実に操作することに心がけたところ、首尾よく一位通過w
 決勝戦は辛田比殿、劉封殿と競うことに。ここでもリズムよく焦らず確実に操作をしていたら、結局一位に・・・

 ということで、なんと思ってもみなかった三冠達成w
 いやはや、正直びっくりしましたよ。こんなことはもう二度とないよなぁ・・・


蜀との思い出 2004/08/23(Mon) 10:51

 三国志といえば。。。
 もともと吉川英治の三国志とKOEIの三国志シリーズ程度の知識しかなかった私にとって、三国志といえば、劉備、関羽、張飛、超雲、そして諸葛亮孔明!であり、蜀はことさら思い入れが強い国でありました。
 そんな私が魏に入ったのは、出雲の同じギルドにいた[赤β]昭殿から誘われたこと、ただ一点そのことのみであり、まったくの白地で臨んだとしたならば、まず蜀の空き武将を探すことになっていたでしょう。

※ まぁきっかけはどうであるにせよ、張合βを選んで一年間プレイしている中で、三国志関係の本もいろいろ読んだり、蒼天航路もみたり、各種HPなどもいろいろみたりして、現在では”魏”の印象もかなり変わっちゃいましたけどね。

 さてUO三国志。私がUO三国志に加わったのは2003年9月1日、初陣は9月14日の第三回領土戦の対蜀ブリ侵攻戦のことでありました。
 この戦、アクト的に蜀が20OVERなのに対し魏はわずか10を少し超えるくらいでしたか。このアクト差の中で、魏はブリ戦地の鍵となる橋を防衛しつつ別働隊を派遣し豚食い&蜀本隊の後方を襲撃するという、かなりの冒険的作戦をとり、結果はあっというまに殲滅されてしまったという戦いとなってしまったわけですが、なにせ私はこれが初陣。このときの蜀の印象はまさに強大!
 わずかな傷も蜀につけることができなかった感が先にたち、この蜀に勝てるときがくるのだろうか。。。と正直思ったものでした。
 この印象が更に強まったのは、10月4日第六回領土戦のことでした。場所は同じブリ侵攻戦。蜀から夏候威殿(厳顔殿)、夏候淵殿(黄忠殿)が転籍してこられ、戦力的にもアクト的にも第三回みたいなわけにはいかないぞ!と気合を入れて臨んだわけですが、結果はなんと魏壊滅・・・次の戦のため魏GHへ戻ろうにも秘薬がない。そのへんに落ちている秘薬をかき集めなんとかGHに戻ったことは今でも強く印象に残っています。
 この戦の直後、私がUO三国志に入るきっかけをつくってくれた[赤β]昭殿と甄氏殿という、当時魏の軍事面・物資面等でまさに中心となっていたお二方が呉へ転籍するという、かなりショッキングな出来事までありました。この中で、蜀が北伐してきたとしたら・・・

 さて、領土戦での蜀の強さは上記のとおりでありましたが、個人的には蜀将の方々のHP関係をよく拝見させていただいておりました。鳳雛殿のHPでは侵攻先にかかる考察、領土戦のレビューと作戦との関係など、ある意味私がUO三国志に一気にのめり込んだのは、鳳雛殿のHPのおかげかもしれません。また、張合βのスキル構成・育成関係では、超雲殿のHP、蜀HP(特に孟達殿のカキコ)が大変ありがたかったことを覚えています。また蜀HPの蜀将日記では、姜維殿がよく日記を書いていらっしゃったので、これも毎回楽しみにしていました。
 本HPを立ち上げたのは、魏でも蜀のような日記があったらいいなぁと思ったからです。(本日記は9月1日から書き綴ってありますが、実際HPを立ち上げたのは9月中旬あたりのことで、9月1日までさかのぼって記載したわけですね。)
 最近でこそ滅多に行われていませんが、UO三国志には”領土戦”とは別に”遭遇戦”というものが存在しています。昨年の秋頃は、この遭遇戦が頻繁に行われておりました。三国chでニックがA_に変わったら、ヴェスにて待つ!との合図でありました。特に超雲殿・楽進殿・文聘殿といったオーク隊が遭遇戦の中心でした。国を超えた遭遇戦は、今では合同模擬という形になったのかもしれませんが、領土戦に向けた訓練とかそういうのではない、腕をみせあう場として随分楽しかった思いがあります。
 とりわけ、超雲殿は、HPにて張合βのスキル構成の原点となっていたこともあり目標とする方でありました。この遭遇戦にて、超雲殿と討ち合って初めて生き延びることができたとき、少し自信ができたのは正直なところです。

 10月18日、屋台街参加のため領土戦は一週間お休みとなりましたが、この一週間お休みの後の第八回領土戦で予定されていたのは蜀の北伐でした。
 10月25日第八回領土戦対蜀デスパイス防衛戦。ここが落ちれば魏首都ユーののど元に蜀の切っ先が迫るとともに魏の補給路は限りなく薄くなり、ずたずたになりかねない。UO三国志〜参〜はじまってわずか2ヶ月。早くも国の存亡を考えねばならない状況になってしまうということで、みな目の色が変わっていたと思います。とにかく弓と文官。連携強化と集中攻撃の徹底。何度も戦地へ足を運んでの現地検証。
 そして結果は・・・なんと引き分け!とはいいつつ戦局的にはかなり押しての引き分けだったため魏にとっては満足のいく結果でありました。

 ただ・・・

(その2へ続く)


蜀との思い出(その2) 2004/08/23(Mon) 13:30

 デスパイス防衛戦をなんとか引き分けに持ち込むことができたのは魏を多いに元気づけたと思います。
 ただ、気になったのは蜀のアクトでした。その前の第七回のときにも感じたことですが、9月の頃のようなアクトが出ていないのです。国家存亡の危機とはいえ、蜀のアクト低下は心配なことでありました。

 10月も終わりにさしかかったある日。孔明様から1onに誘われました。ムングロの畑にでかけて遊んでたところ、馬良殿がいらっしゃいました。魏からは曹植殿も参加して結局2onを行うことに。
 このとき孔明殿と馬良殿のコンビにはもう脱帽いたしました。何度やっても歯が立たない。1onではない2onだからこそのおもしろさ。このことをよくよく教えていただいた気がします。

 カレンダーは11月となり、デスパ防衛をなんとか果たした魏は、蜀領ブリへの侵攻を開始しました。デスパ防衛戦は単なる引き分けでなく、あまりにも絶対的と思えた蜀に対し心理的にも対等以上に考えることができるようになったという意味で、相当大きな効果があったと考えています。
 第9回、第10回領土戦でのブリ侵攻戦で連勝。それまで散々負け続けてきた蜀を相手にブリ奪回に成功できたときの嬉しさは忘れられません。第10回領土戦でブリ奪回の後、みんなでブリ城にいって殿を囲んで記念写真をとったことを今でも覚えています。

 ところが・・・

 これ以降蜀にまったくといっていいほど侵攻戦で勝てなくなりました。それどころかスカラ防衛戦でも失点するなど毎度毎度同じパターン。すなわち、相手武将の数を落とせども決定的に決めきることができず、逆に下手すると魏大将が落とされ、あるいは豚を完食され、まるで領地が増えず。
 いわば剛の魏に対し柔の蜀という感じでしょうか。目一杯力をふるえども、うまく急所をつかれ立ち回られているという、この当時魏の作戦担当役職である司馬の私としては、もう頭パニック状態。方や呉との戦いでも河北方面(ミノック、デシート、べスパー、コブトスあたり)が随分と熱くなっている状況で、悲鳴あげまくりでした。このため、蜀への侵攻戦の勝利は、なんと3月20日第25回領土戦に至るまでできなかったのです。
 このことを最大限認識せざるを得なかったのは、第24回領土戦ダスタ侵攻戦のことでした。魏の思うことが完全に見透かされており、力でおせてはいるが結果が伴わない・・・ということで、かなり辛い状況が続いておりました。しかし、この忍耐のとき、悶々と試行錯誤していく中、今から思えば魏のレベルも着実にアップしていたのではないかと思います。

 さて、3月〜4月頃の魏は、お正月前後で力を入れた勧誘の成果が確実に有力な戦力として育ちきってきた状況であり、最も充実していた時期ではなかったかと思います。
 蜀からの数度にわたるブリ侵攻を跳ね返していた中で、呉との河北の戦況が一段落した後、いよいよ蜀攻めにとりかかりました。狙いはトリンシック。蜀にとってのトリンシックは、魏のデスパイスと同様の位置づけにある戦略的に極めて重要な拠点でありました。
 第25回、第27回の二回にわたってのトリンシック侵攻戦の戦術は、それまでの愚直なまでの一団となっての戦いに、蜀の戦術を組み入れることで行うこととなりました。
 ある意味、様々なバリエーションのある蜀の戦いは、戦場におけるよいお手本であったのかもしれません。

 (続く・・・)

曹植 > ぅぅ・・・懐かしい。思い返せばデスパイズとブリテインでの戦が蜀との戦乱の歴史の中でもメイン戦場だったかも。。。 (08/23 19:32)
ホウ徳 > あの時の悔しさも今思えばいい思い出ですね。 (08/23 19:36)
許ネ'者 > その辺りから私参戦したのかな。。。蜀は強かったぁ (08/23 21:47)
文聘 > 懐かしい思い出が蘇って来ました。楽進隊長・・・遭遇戦久々に行こうかな・・・ (08/24 18:50)

蜀との思い出(その3) 2004/08/24(Tue) 16:14

 領土戦当日のアクト数は、その日の戦の行方を占う意味で大きな影響を及ぼします。大勢のアクトが出るということは場の雰囲気も賑やかになりますし、勇気づけられたりします。そのため、各国とも、領土戦の結果にも対応しつつ勧誘活動を強化したりするわけです。
 私がUO三国志に参加した当時の魏の登録武将数は三国中最小であり、なんとか武将数を呉・蜀なみに増やすことが急務でありました。このため、魏では李典殿が勧誘担当を引き受けてくださって、魏の武将数も徐々に増加をたどることとなりました。
 私も頑張らねば!ということで、ブリ銀前で李典殿が単騎で勧誘活動しているというのでお手伝いに向かい、並んで声をはりあげました。

 「魏は三国中武将数最小」是非お力を・・・○○や○○など(←メジャーな武将)に今すぐなれます。

 この決め言葉は随分長い間つかわさせていただいたと思います。
 しかしそれでも蜀の武将数にはなかなか追いつきませんでした。特に・・・新しい方が三国chに訪れたときたびたび発揮された孟達殿や姜維殿のユニークな口上は秀逸でしたし、更に特筆すべきはなんといっても孔明様のFLASHでしょう。

 「蜀の受難」(孔明様FLASH第一作)

 あぁやられた・・・いやしかし見事・・・

 FLASHを魏の広報活動に使おうと考え、魏プロモーション・プロジェクトなる企画で魏PR用FLASHを作成しようとして、なかなか作業が捗らず悶々としていた、まさにそのときのことでした。
 知名度抜群の名作「鍛冶屋の受難」のリミックス企画に参加となったこの「蜀の受難」の波及効果は大きく、FLASHみて蜀への参加を決めた方もいらっしゃったはずで、うらやましい限りでした。

 さて桜も満開カレンダーは4月となりました。
 しかし、4月というのはUOプレイヤーのリアル状況にも大きな変化がありがちな時節です。就職、転勤、進学、進級・・・様々なリアル変化にともなって、それまで一緒に遊んできた仲間がもう一緒に遊ぶことができなくなったり・・・これに加え、ルール解釈問題やらなんやらいろいろ問題もおき、各国の体制に様々な変化が生じました。
 数多くの様々な議論が戦わされ、運営陣に大きな負担がかかるとともに、関係者間にも様々な影響がでるなど、ある意味UO三国志〜参〜開始して半年をすぎ、全体的に金属疲労、軋みといったものが噴き出てしまった時期かもしれません。

 蜀の体制が一新されたのはちょうどGWの頃のこと。いろいろあったけど仕切り直しで一からスタートという感じでしょうか。しかしながら、この時点で既に蜀首都ジェロは残り20ポイントという状況となっており、残す都市はジェロとSHのみ。蜀の奮起が期待されていたところでした。
 GW以降、蜀はトリンシック、スカラブレイと侵攻をかけてきますが、この5月〜6月にかけての対蜀防衛戦に限っていえば、蜀の戦力が整っておらず、魏にとって余裕のある戦いであったのは正直なところです。

 6月上旬の第36回、第37回領土戦 対蜀SH侵攻戦。
 この時点でSH侵攻を選択したのは、蜀の一層の奮起を促す意味が含まれていました。SH戦地は地形的に要害であり、対等の戦力で戦うならば、余程のことがない限りなかなか落とすことは困難な戦地です。しかし、結果は魏の連勝で、しかも内容的にも圧勝で終わり、いよいよ蜀は首都ジェロを残すのみという状況となってしまいました。この時点で蜀滅亡は時間の問題とまで感じていたのです。

 しかし、振り返ってみれば、このときの蜀の状況は、あたかも昨年秋の魏の状況そのままであったのかもしれません。蜀の内部でどのような雰囲気であったかはうかがい知れません。しかし、平日毎日のように模擬を繰り返し、努力を積み重ねる姿は、なにかが起きていることを感じるところがありました。
 6月の末頃でしたか、7月のはじめ頃でしたか、とある日蜀との合同模擬に参加したことがありました。双方大将を立てての領土戦模擬であります。場所はシェイム。
 結果は・・・内容的にかなり押されっぱなし。魏の大将がなんども落とされリベンジも果たせず。こ・・・これは強い・・・

 確かこの模擬のあと、魏GHに戻りしばし会議しましたが、その際の曹操殿のお言葉が耳について離れませんでした。

−去年の秋、魏は劣勢だったけれど心配していなかった。潜在能力からして魏は大丈夫と思っていた。しかし、今はマジ心配だよ。

 事実この後、7月10日第40回領土戦、第41回領土戦と、魏は対蜀3連敗を喫し、トリ戦地に傷がつき、スカラを失うこととなるのでした。

 (なんとその4へ続く?)


蜀との思い出(その4) 2004/08/25(Wed) 23:24

 7月17日第42回領土戦トリ防衛戦。
 イベントの関係で戦地使用不可ということとなり、サイコロ勝負で勝った蜀が選択したのはロング戦地でした。
 このロング戦地は、ヒスロス統一戦の関係で呉と戦をしたばかりの戦地。かなりの数的劣勢の中で凌ぎ切り引き分けに持ち込んだ戦地でした。
 蜀がロングを選択したとき、いかに蜀の勢いがあるとはいえ、最低でも引き分けには持ち込めそうだ、と思ったのは正直なところでした。
 事実。序盤蜀将を数名落とすことに成功し、数的にも有利な状況に持ち込めたわけで、この段階でまさか敗戦となるとは夢にもおもわなかったのです。
 フィールドに隙がでた一瞬を捉えての蜀将陣の切り込みと勇気はまことにもってお見事。以前の蜀には見受けられないことでした。馬の問題とか後に発生した後味の悪い戦でありましたが、少なくとも絶対であった山道のフィールド戦での敗戦は、蜀の強さが本物であることを思い切り認識せざるを得ないものでありました。

 この敗戦に続き行われたスカラ侵攻戦。同じくイベントの影響により選ばれた戦地SHは、36回、37回の領土戦で蜀に圧勝した同じ戦地です。
 37回領土戦から約一月。蜀の力は圧倒的なまで強化されておりました。このときの魏はいつになく多くの文官陣がそろっていたはずでしたが、結果は蜀本陣にせまる山道にて蜀の弓陣に圧倒され、魏の最前線は崩壊。真正面から押すどころか、逆に魏将の死骸が累々と積み重なる結果となりました。

 戦後呂凱殿曰く「この戦地で負けるわけにはいかんよねぇ」

 いや、まったくもってそのとおり。そのとおりなのですが、一ヶ月ほど前の感覚では、むしろ大将・副将の逃げ場のない狭い戦地、でしかなかったのです。

 この第42回領土戦での惨敗は、蜀が強くなったことももちろんですが、魏の戦力低下、錬兵不足ももろに影響していたことが明らかであり、これをいかにして立て直すかが急務となりました。
 そこで7月18日、魏の決起集会が開催されることとなりました。勝利続きによる慢心、驕り、アクト低下そして錬兵不足は、確実に、それまで培ってきた魏の力を低下させていたのです。

 様々な要因で危機意識が高まったとき、魏では全体集会を開催し、新しい体制を構築するなどして、ピンチを凌いでまいりました。
 最初の集会は、2003年9月18日。なかなかアクトが増えない状況への対策や役職制度を構築したときです。現在の魏の仕組みの骨格を作り上げた基礎となる会議でありました。
 次に開催されたのは10月17日。領土戦で大敗した上、魏の屋台骨をささえてきた将の転籍という危機に対応するための新体制づくりの会議です。
 2月の会議。このときは領土戦で戦っても戦っても勝利が得られない雌伏のときであり、なんとかこれを脱却せんがための会議でありました。
 こういった節目節目の会議は、よい結果に結びついておりました。会議を開き新しい事柄を決めていく、そのことを通じて各将の問題意識を高め、参加意欲を増進する効果があったものと思います。
 そして7月の会議。

 私自身、7月以降リアル仕事の影響で平日のアクトはほぼ期待できない状況となってしまったことが悔やまれてなりません。しかし、魏にも新しい力が芽吹いておりました。
 新体制を中心とした作戦〜錬兵〜領土戦。

 かつての魏がそうであったように。
 そして蜀がそうであったように。

 楽しい戦いとなりますように。勝つも負けるも紙一重。そんな緊張感あふれる大規模集団戦が味わえるのがUO三国志の醍醐味。ともすれば歴史の再現と彷彿させるような、そんな武将達の競い合い。

 お互いに競い合い、より質の高い戦を演じきる。そのためには魏・呉・蜀の三国が抜きぬかれつ拮抗した戦力を培っていくことが大切なのでしょう。
 UO三国志は三国全体で一つのギルドのようなもの。その上で、より楽しいUO三国志ライフをすごすためには、三国間がよいライバル関係を築き、精進努力していくことが大事ということを強く心にきざみつけることができました。

 こうやってこれまでの思い出を振り返ってみて、蜀という良きライバルの存在に感謝しつつ、「蜀との思い出」の筆をおきます。

 長文ありがとうございました。

  2004年8月25日  張合β


蒼天航路32巻 2004/08/26(Thu) 14:57

 わーい♪蒼天32巻読んだ〜♪

 って月曜日に買ってたんですけど、なかなか読む時間がなくてね。でもめでたく本日ようやく読むことできました〜

 夏候淵の守る漢中の地に、いよいよ蜀が攻めかかる!
 守る魏は、夏候淵を筆頭に、張合β、徐晃、郭淮に援軍曹洪、曹休。
 攻める蜀は、劉備を筆頭に、張飛、馬超、超雲、黄忠、馬岱、陳式、魏延、厳顔、呉蘭、雷同、そして法正。

 そして迎えた定軍山のクライマックス!・・・は次巻を期待w

 あぁしかし。蒼天航路年内で終了なのか〜TT
 そうなると・・・漢中の次は・・・いよいよ関羽。。。そして曹操・・・で最終回かな><
 できれば、続・蒼天航路とかで続きかいてくれんかな〜王欣太先生たのみます〜

ホウ徳 > 関羽ということはいよいよ私の見せ場ですな! (08/27 08:43)

最後の領土戦 2004/08/29(Sun) 10:28

 いよいよ最後の領土戦を迎えることとなった。
 オリンピックの閉会式、高校野球の決勝戦後の表彰式など、どれをとっても”最後”というのはなんとなく物悲しく、寂しいものを感じてしまいますね。

 この日の会戦を迎えるにあたり、私から魏の皆様にプレゼントを計画しておりました。プレゼントの中身は直前まで秘密にしておいたのですが。。。

 会戦前の9時半頃でしたか、ログインして会戦準備をしGHに出現。そこで曹植殿から声かけられ、秘密にしていたはずのプレゼントの中身をもののずばり言い当てられてしまう・・・

 「プレゼントって、ものじゃないよね」
 「うん」(むむ・・・)
 「キーワードは・・・ロイド・・・」
 「!」(うへぇ・・・あなたは全てを見通しているのですか?)

 そう、プレゼントの中身は、曹植殿ご明察「曹叡殿の参戦」でありました。ときをさかのぼって先週の日曜日のこと。UOをアンインストまでしていた曹叡殿に頼み込んで、最後の最後だからってことで参戦をお願いしていたのです。

 最後の領土戦は呉との二連戦。気分的には勝敗は度外視。思いっきり戦いたいってことだけでした。

【対呉ムングロ侵攻戦】
 遊軍隊として船で出航。隠密行動するつもりでしたが、いきなり船に乗る陸胤殿と遭遇w 思いっきり隠密作戦が水泡と帰してしまい、あぁ〜一体どうしてくれるんだ!などと身勝手な理屈を一方的に陸胤殿にぶつけた代償は大きく、陸域には既に呉の面々がこちらの上陸を虎視眈々と待ち受けているw
 陸に近づいたり離れたりして隙を狙うもあまり効果もなし。フィールド戦の最前線あたりに被が出始めたこともあり、とりあえず本隊に合流することにしました。
 半島つけねのくびれ部分にておしあいへしあいしてましたが、そのうち北側の狭い通路部分がかなり手薄になったので、すすっと半島奥へ入り込む。
 呉の前線が薄くなったのは、再度遊軍部隊が船にて半島奥に上陸していたためで、半島奥は大勢の呉将の中に埋もれる魏将数名という状態。そんな中に飛び込んでいった私は、飛んで火にいるなんとやら状態。あぁ・・・あそこにマント背負った方がいる。。。と頭の片隅に思いつつ、アタックメッセを山ほどもらって半島内を逃げ回るw
 なんとかかんとか半島から脱出は成功するも、凝りもせず再度突入(やっぱ最後の戦だからねw)。こんなことを何度か繰り返しているうちに、魏将の多くは討ち取られ、魏の前線は崩壊、曹丕大将討ち取られで結局敗戦となりました。

【対呉ヴェスパー防衛戦】
 再度遊軍として、川の北側からの渡河を敢行しようとするものの、なんだか対岸に孫堅殿をはじめ呉の方がいっぱいw
 しばらく膠着状態となるものの、案の定北側あたりから呉将が渡河してきた。ばらばらしてたんで、魏本陣あたりに仮陣を設け、そこを中心に体制を整えるが、ちょうどそのとき、ホウ悳殿が呉大将を追撃しているとの情報あり。
 さっそくこれに加わろうと、魏本陣から離れ、ホウ悳殿のいるところまで前進すると、目の前に孫堅殿がw
 タゲとって、追撃開始!と報告したところまではよかったのだが、まわり呉将だらけで、もしかしてこっちがヤバイ?
 ここでボーラ食らったのが運のつき。家の影でSKくらって乙となりました。
 幽霊ではじまった領土戦初陣。最後の最後も幽霊で終わる。
 いかにもいかにも。よきかなよきかな。

曹植 > 私も幽霊で始まった領土戦、幽霊で終わりました。もう最後だから作戦度外視でひとりで孫堅殿に突撃しLT一発撃ったあとに護衛兵8人ぐらいにボコボコにされて一年間を締めくくりました^^;; (08/29 12:32)
賈言羽@愛の文官 > なるほど、そういうプレゼントでしたかぁ〜きっと皆盛り上がっただろうな。そんな事を思いつく張合β様、そして気づいてる曹植様、この二人あって魏だと改めて思いました。 (08/29 23:02)
[广龍]悳 > 1年間本当にお疲れ様でした。張合β殿と曹植殿は間違いなく魏の双璧でした。また一緒にさんかできたらとおもっていますぞ! (08/29 23:59)

大海原 2004/08/30(Mon) 10:30

 以前やった人狼を再びやるっていうことなんで、オリンピック中継観戦をちょっとお休みして参加しました。三国あわせて15名くらいの参加者となり結構賑やか。
 もう領土戦も終わったことだし、いっそのこと「三国志」ギルドでも作って全員一つのギルドにしちゃうってのもいいかもね。

 さて人狼です。私は祈祷師役ということで空瓶をいただきました。人狼と同室になるのが楽しみで楽しみで(笑
 迎えた第一夜。祈祷師役の私に第一夜のパートナーを指名できる権利がもらえた。是非とも人狼役の方を指名したいところであるが、まだ情報0なので勘に頼るのみである。
 居並ぶ面子をざっと眺め、というより進行役の文鴦殿が誰を人狼役に指名しそうか、ということで考え、劉備殿か劉禅殿のどちらかが人狼役の一名に指名されそうだ(謎)となんとなく思い、まずは劉備殿を指名。
 第一夜。劉備殿と同室。

  私   「狼じゃないですよね?」
  劉備殿 「私はただの村人ですよ」
  私   「よかったぁ。嘘ついたら思いっきり日記で書きますよ」

 劉備殿、夜明け間際にやおら立ち上がりこちらへ近づいてくる。
 むむ。。。これは以前人狼役だった曹植殿の動きと同じ・・・
 トレードウィンドが開き、熊マスクがぽんっとおかれた・・・

 「やった!!!!」

 反撃の手段があるということは気持ちのいいものであります。空瓶をおき、人狼劉備殿消滅に成功♪

 さてさて夜が明けての会議ですが、ここで劉備殿死亡した理由を述べなくてはなりませぬ。
 私は言い訳も何も、事実を喋るだけですのでなんてことはないですが、私の次に説明する順番だった許チョ殿が、私と全く同じ祈祷師であるとの話をいたしました。この時点で許チョ殿が人狼と決定。

 ところが、その後の投票結果はと・・・
 あぁ・・・私が人狼・・・

 私が参加した前回も人狼役やってるので、続けて人狼役はしないでしょ!という抗弁も、言い訳にしか聞こえなかったのでしょうか(笑

 個人的に人狼に参加したのは、今回が三戦目。初戦はただの村人で第二夜に人狼曹植殿に食われ、二戦目は人狼役で第一夜にしてリンチ。そして今回、祈祷師役で人狼を討ち取り成功するもやはり第一夜にしてリンチ。えぇ、もはや私は幽霊パーティの主であります(謎

※既に次回人狼にむけて心理戦ははじまっておりますYo。私のこれまでの↑の経歴を踏まえ、どのような役割を与えられるか、推理してみるのもおもしろいかもね♪

 **************

 仕事もなんとなく一段落したっぽく、気分的には晴れやかで、久しぶりにUOをたくさんした土日でした。
 で。何してるかっていると、釣りですよ釣り。
 アテネ五輪みながらのUOなので狩りなどできませんw
 大海原にぽつんと船をうかべ、釣りスキル上げをまったりやってました。
 そんな中、大海原で司馬師殿とばったり遭遇です。ついこのあいだ、王基殿と遭遇したばかりでありましたが今度は司馬師殿。永久航路の制海権は魏が完全に掌握しているってことでしょうか(謎


呉との思い出 2004/08/30(Mon) 12:48

 先週「蜀との思い出」につき長文書きましたので、今週は「呉との思い出」を書いてみることといたします。

 2003年9月20日第四回領土戦デシート侵攻戦。この戦が私にとってはじめての呉との戦となりました。第三回領土戦デビューから一週間後のこの戦でありますが、この直前にリアル都合により曹丕殿休暇届という、魏にとって踏んだり蹴ったり状態となっていて、第四回の領土戦で大将不在という緊急事態発生。
 領土戦前日デシート戦地検分に出かけたとき大将役をどうするか議論となり、なんとこの私が大将役をやれという事態となってしまいました。まだデビュー二戦目なのですが、武器スキルもなんとかエルダーになりなんとしていたことと、魏の主力は攻撃陣にまわしたいってことで、消去法で選ばれた大将役だったのでしょう(笑
 しかし相手は呉。呉との領土戦は初めてでしたが、それまで模擬の機会に呉の方々とも何度か遭遇していて各将の強さは肌で感じていたこともあって戦々恐々でありました。
 そして迎えたデシート侵攻戦。開始の合図とともに呉本陣へ進撃開始。呉は本陣を中心に厚いフィールドを展開し本陣防衛を徹底しておりました。ばらばらと呉本陣に攻撃をはじめた魏でしたが、開始まもなく頼りの文官郭嘉殿(現曹操殿)がいきなり死亡。
 当時魏の文官といえば、郭嘉殿と司馬懿殿そして極度の文官不足のため前司馬炎殿が甄氏殿に武将変更してようやく3名という状態でありました。その中での郭嘉殿のいきなりの戦線離脱は、大将役たる私の首筋がかなりひんやりした瞬間でありました。
 しかし呉の戦いぶりは、この戦ではかなり慎重だったような気がします。防衛戦だったからということだったのでしょうか。結局時間切れ引き分け(魏の反則勝ち)で終わり、個人的には大役をなんとか無事にこなせてほっと一息でしたが、呉の守る本陣はまるで崩せる雰囲気もなく手も足も出ないとい状態で、多くの課題が残った一戦でありました。

 さて、個人的にもまた魏としても、この頃の魏は相当がんばって鍛えていかなければならない時期にありました。そのため、甄氏殿邸に設けられたPIT会場での1onやら、シェイム戦地での模擬やら、ヴェスパーでの遭遇戦やら、いろんなところで経験を積み重ねることに懸命になりました。しかし、なかなか思うように動けず、マクロ設定もしっくりこず、魏全体としてもSKがまるでできていないなど、あれこれ試行錯誤をやりつつも、なかなか結果に結びつかないのです。
 そんなときに迎えた第五回領土戦ミノック−コブトス統一戦は、一つの転機となった戦でありました。

 2003年9月27日第五回領土戦ミノック−コブトス統一戦。
 この時点で河北の地は、第四回領土戦の結果によって、ミノック−デシートと魏の領土が進出していたため、呉からみた場合、ミノックを落とすことはデシートの空白地化ということもあってまさに急所中の急所。さらにコブトスの地は、重要地点ではある上に戦地的に要害で、第一回、第二回侵攻をかけたもののほぼ壊滅敗戦の地。ということで、この統一戦ははやくも魏の存亡をかけることとなった戦略的にもかなりの意味を有する一戦でありました。
 さて、そんな中での魏ですが、依然として曹丕殿休暇中ということで、郭嘉殿が曹真殿として君主代理についていただくこととなり、これで大将役は安泰だ!ということでしたが、いよいよもって文官不足は目も当てられない状態。
 この大事な第五回領土戦、統一戦地のサイコロ勝負でなんとかミノック戦地で戦うこととなったものの、文官はわずか一名甄氏殿のみでありました。
 基本戦術は「専守防衛」。とにかく文官1名だけなのでフィールドを分厚く・・・なんてできるわけもなく、ここは肉壁にて豚防衛じゃ(笑
 開始早々魏本陣へなだれ込んでくる呉将。迎え撃つ魏将。しかし領土戦はじまって以来初といっていい魏将のまとまりにより、徐々に数的優位が築け、最後は一気におして呉大将討ち取りに成功♪
 魏にとって領土戦でのきちんとした勝ちはこのときが実際初めてのことだったので、魏将達の喜びはそれはそれは大変なものがありました。

 この頃の私の呉に対するイメージは、粒ぞろいの人材と底抜けの明るさ、そして深夜の鬼アクト!という言葉に集約されるでしょうね。事実、昨年の秋頃の三国chを眺めてみれば、見渡す限り呉将ばかり(笑)。
 魏も蜀も深夜2時台以降は人がかなり少なく、夜遅くてもわいわいがやがややってる呉の雰囲気は三国一賑やかであったでしょう。また、領土戦に関しても、そのときどきの勝敗云々というよりも、楽しめたかどうか、という点が最優先であったのではないかと思います。

 (その2へ続く)


呉との思い出(その2) 2004/08/30(Mon) 17:54

 甄氏殿宅に設けられたPIT会場は思い出に残る場所でありました。
 大抵甄氏殿や曹植殿が言いだしっぺとなって、1onして遊んでいたのですが、よく呉の方々もおいでになってお手合わせをさせていただいたことで、私自身の励みになったと思っています。
 凌統殿、宋謙殿、祖茂殿そして孫亮殿。特に孫亮殿には何度やってもまるで歯が立たず、ほんと凄いなぁという気持ちと、いつかは自分も!という気持ちが入り混じり、多分自分自身一番向上心を持った時期ではなかったでしょうか。

 10月18日、この日は土曜日ではありましたが領土戦はお休み。Arch Angelさん主催の屋台街イベントにUO三国志として参加するということですが、その中で、「演舞」を行うというUO三国志としての出し物がありました。
 各国から代表選手2名出し、三国合計6名にてのトーナメントを行うというもので、魏からは私と前郭淮殿が出場することとなりました。前郭淮殿はお笑い担当だ!とおっしゃっての率先参加でしたが、私は何でだか推されての出場で、おぃおぃ大丈夫かいな〜という雰囲気(謎
 蜀からは当時の馬超殿と姜維殿、そして呉は孫匡殿と孫亮殿が出場であって、どうも魏が見劣りしてやしませんか・・・
 ということで、急遽口上のマクロを設定。

 我は魏国武官張合β儁乂也
 心に抱くは鴻鵠の志
 今宵ご披露いたしましょうぞ

 「演舞」ですからね。少しでも派手にせんとな〜ということで、試合で勝つよりも目立つことに専念(何
 さて一回戦の私の相手はなんと組み合わせの妙で前郭淮殿。魏同士となってあぅあぅ・・・でも口上述べることができてとりあえず満足♪
 そして二回戦に進んだ私と相対したのは、一回戦を勝ち上がってきた孫匡殿でありました。このとき孫匡殿は会戦で大将役を常に勤めるなど、私にとっては雲の上の存在でありました。結果歯が立たずあっさりと秒殺(まぁ実力がなかったってことでw
 決勝戦は、孫匡殿vs孫亮殿という本命同士の戦いとなり、どちらが先に出血をいれることができるかが戦いの主導権を握ることとなる、と誰かの予想がありましたが、結果孫亮殿が勝ち、見事演舞の頂点に立たれたのでありました。

 さて領土戦に話を戻します。魏と呉の争いはひとえに河北の戦いに集約されますでしょう。ミノック、コブトス、デシート、ヴェスパー。3月6日の第23回領土戦にてヴェスパーが落ち、コブトスが空白地化するまでの間の河北での戦いは圧巻でありました。
 第19回領土戦で魏がデシートを落としたあと、魏はヴェスパーを、そして呉はデシートを双方攻め合い、一歩も引かない緊張感あふれる戦いとなりました。
 ヴェスパーの地で勝利するために魏ではかなりの訓練を行いました。フィールド戦での戦い方の基本を陳羣殿から教わったり、訓練用のギルドを別につくってフィールド戦訓練を行ったり、大将の追い方などなど、魏将それぞれが問題意識をもって、少しでもレベルアップを図ろうと努力いたしました。
 事前の作戦についても、どうやったら呉の堅陣を崩すことができるだろうか、また呉の攻撃をいかにして防ぎきるか、などなどいざというときに迷わないよう工夫がこらされました。ある意味魏で一番充実していた時期ではないでしょうか。

 呉との戦いを振り返るに意識せざるを得なかったのは、常に虎視眈々とこちらの大将の首を狙う目でありました。
 両軍体制をひいてフィールド戦をしていても、隙があれば背後へ抜け出し魏の最後尾にいるであろう大将を狙いにいくというもので、それも何人もそういう方がいらっしゃるものだから、もうたまったものじゃありません。なにせ目の前で呉本隊と対峙しているつもりが、いつの間にか魏大将に対して大勢の呉将が攻撃を加えているのです。
 このため、大将親衛隊と、大将ピンチのときの報告関係についてもその度に徹底を図ることで対策をとることとしましたが、呉の攻撃は厳しかったですねえ。

 膠着した河北の戦いに動きがでたのは3月6日第23回領土戦のときのこと。この戦を前に、魏では船を使った本陣急襲作戦を訓練していました。神速をもって旨とする。乗船の手順、下船後の段取り、綿密に打ち合わせも行い集団として一番の出来に仕上がったのではないでしょうか。
 この日私は参戦していませんでした。仕事の関係もあって札幌の地にいたのです。領土戦の結果をいち早く知りたくて、新千歳空港内でインターネット検索ができるパソコンを探し回り、ようやくみつけたパソコンで三国HPをチェック。
 結果をみたときは、思わず嘘かとおもっちゃいましたよ。

 (その3に続く)


呉との思い出(その3) 2004/08/31(Tue) 10:11

 桜の時節。「蜀との思い出」でも書いたのですが、3月〜4月の時期はリアル事情の変化等、様々な理由によって各国のアクト状況に大きな影響の出た時期でありました。
 魏が勢力を拡大したのはこの時期であり、丁度呉や蜀のアクトが低下した時期に魏は比較的戦力をキープできていたことと、1月〜2月に懸命にやっていた訓練の成果が結果を伴うようになってきたことなど、いろんな要因が重なっていたのではないかと思います。
 アクトの多寡で勝ち負けが決まる、というのはある意味正鵠を得ていることではありますが、週に一度の折角の領土戦を充実したひとときにするには、やはり拮抗した戦力同士での戦いとなることが重要なのではないでしょうか。なので、特段の国や武将のこだわりがない方が新たに参加される場合は、極力一番少数の国への参加をまずお勧めするような勧誘形態がいいんじゃないかな、と個人的には思います。
 呉のアクトが低下したときに、陸抗殿を中心に勧誘行動を熱心にやっておられましたが、当時魏の中心にいた曹叡殿は、わざわざ呉将の名前のついたキャラをつくって呉の勧誘行動をしていたのです。(内緒だったかな^^;

 「アクト差があっても勝てる方法が欲しい」

 第一回領土戦の後の曹丕殿のご発言です。もともとアクト差があっても勝つ方策として豚完食勝利の条件がありました。しかし、豚食って逃げ切って勝ちというのも。。。また、それを防ぐためにどうしても防衛側は、本陣防衛を主において動きが少なくなる・・・という観点で豚食い相殺ルールに変更があり、これはこれで意味はあったかとは思うものの、これ以降アクト差にかなりの差があったときの勝ちの可能性がより一層少なくなってしまったのも事実かもしれません。
 昨年11月頃に導入されたPub21での包帯スキルの強力化も微妙に影響していたかもしれません。なにせ普通に1対1で戦って瞬殺するってことがかなり難しくなり、一人の武将を落とすにも複数の武将による集中攻撃を徹底しなくてはならなくなったということで、アクト少数の国にとってはかなりの影響だったのではないでしょうか。
 このあたりの微妙なバランスについては、是非UO三国志四でもう一度検証してみたいところですね。

 呉との領土戦ではよく大乱戦状態になることが多かったような気がいたします。もちろんミノック、コブトス、ムングロといった地形的に特徴のある戦地では別ですが、とりわけニジェ、スカラ、オクローといった、とりたてて防衛本陣として立てこもるのに特徴があまりない場所において、両軍大将そっちのけでのくんずほぐれずの大乱戦という展開が数多くあったかと思います。
 そんな戦が終わった後の魏GHにて、勝敗はともかく「今日は楽しかったぁ〜」という声も大変多く聞くことができました。それほど個々の戦が充実していた証拠だったのでしょうね。


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