張合β儁艾の日記帖


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そろそろ順調 2004/09/01(Wed) 10:29

 無茶苦茶だった7月〜8月のリアル仕事もようやく一段落。
 といいつつ、月曜日は朝の5時台に出勤、昨日は一段落の打上げ!で結局UOできず。

 それにしても昨晩の打上げはなかなかよかった。仕事を終えて東京ドームのすぐ傍にあるスパLaQuaで温泉はいって汗を流して一杯いただく。

 く〜〜たまりませんw

 **************

 さて9月1日となりました。UO三国志はじめて丁度一年の記念となる日。ここまで「蜀との思い出」「呉との思い出」と一年を振り返る日記を書いてきましたが、いよいよ「魏での思い出」を執筆予定です。乞ご期待!


魏での思い出 2004/09/01(Wed) 16:58

 ちょうど1年前の8月26日。
 出雲で所属していたギルドの掲示板にこんなスレが立ちました。

 *************
 遠征いってきます。
 (略)
 で行き先なんですが、ASUKAの三国志行ってきます。
 HQルールなんで戦士の戦い方よく学べます。
 間違っても瞬殺ないからねw
 今魏所属なんですが一番弱いんです、魏。
 人員いないしAct少ないし経験者は君主だけなんで
 滅亡候補No1です。
 (略)
 ************

 当時同じギルドに所属していた前赤β昭殿のカキコでした。このスレに「三国志おもしろそうですね〜」とレスしたところ、

 ************

 ×××さん(注:出雲ギルドでのHN)ごのみの深夜まで模擬とかしてたりしますから来てみては?(絶対魏に)
 キャラ作成なら魏メン皆で支援しますよ?人少ない分情があついんです!
 ってことにしておいてくださいw
 でも本当にくるならまだ始まって間もないし皆で協力すればステータス揃えるまでにスキル揃えること出来ますよ

 ************

 こんな返事をいただきました。当時私はこのギルドでギルマスなどやっていたんですが、”滅亡候補1””人すくない分情があつい”などと実に刺激的な言葉にぐらぐらっとひかれちゃいました。出雲のギルドの活動ができなくなる。。。ということと、前赤β昭殿が援軍を求めている。。。ということの狭間におちいってしばし悩んだものの、魏に参加することを決意したのはちょうど一年前の9月1日のことでした。
 問題はどの武将を選択するかですが、なるべくなら強そうなのがいいなぁなんてことで、いろんなHPを歩き回って数名候補を選び、さらにこれまでどなたも名乗ったことのない武将希望、ということで”張合β”を名乗ることとしたのです。

 飛鳥初キャラ作成。当時はキャラ転送サービスなどなく、まったく一からのスタートです。前赤β昭殿には内緒にしておくつもりでしたが、魏chでしばし喋ってたらすぐばれちゃいました(苦笑
 私が魏chに実質ログインしたのは、登録後一週間ほどしてからでしたが、それ以降今年の7月に至るまでのほぼ10ヶ月間、ほぼ毎日魏chには常駐してましたね。

 この頃の魏は、UO三国志の経験者は、曹丕殿と前郭嘉殿(現曹操殿)のお二方のみであり、構成メンバーのほとんどは参からの参加者でありました。UO三国志の経験、という点からすれば恐ろしく若い国だったんですね。
 当時の魏ch常駐メンバーといえば、前赤β昭殿、元楽進殿、そして前司馬炎殿。この3名の方と前郭嘉殿が日頃の活動の中核でありました。
 当初から、参からの参加者が中核となっていた魏。過去の経験がないがゆえ、いろいろ苦労しながら国づくりをしていた魏。きっと曹丕殿と前郭嘉殿からすれば、この若い連中がどのくらいやるかみていてやろうって感じではなかったのではないかと想像します。

 さて、まずはキャラ育成に専念。9月1日月曜日にキャラ作成したので、毎日ステータスを上限いっぱいあげていけば翌週の土曜日にちょうどステータス合計が225になる。ということで、とにかくステータス上げは毎日必ず11上げることを実行しました。またスキル上げですが、なにせ飛鳥初キャラだったので手元にあるのは1000gpのみ。武器・防具はともかくパワスクいれるには何より先立つものが必要不可欠ってことで、お金稼ぎも兼ねることができるスキル上げ方策を探しました。
 このとき、当時蜀HPに書かれていた孟達殿の記事が大変役にたったことを覚えています。狩場への移動距離、スキルの上がりやすさ、稼ぎのよさ、などなどから、ベストはヴェスパー北の森の侵入者アリだ!と確信しました。ここが一杯なら、ウィンド前の侵入者アリを狩ることにしました。(覚えておられないかもしれませんが)このウィンド前にて呉班殿がやはりキャラ育成に励んでいるところに遭遇しましたね。また、この頃凌統殿や孟達殿によく街中でばったり出会い、よく声をかけていただきました。

 領土戦デビューの目標は9月13日の第三回領土戦。この日までSS115のパワスクを買い、スキルUPアクセをつけて武器スキル115の武官として参戦する。これを達成すべくがんばりました。初陣前日。侵入者アリを狩りに狩ってためたキノコを@140で販売し(当時はそのくらいの相場だった)、たしか400kでパワスク115を購入するとともに、お店めぐりでアクセもみつけてなんとか目標達成!

 この間、特に前司馬炎殿には随分とお世話になりました。あれこれ気を使ってもらい、慣れない飛鳥での活動を随分とサポートしていただいたのです。
 このときの苦労とサポートへの感謝の念は、その後の私の行動パターンの礎となったのです。

 (その2へ続く)


魏での思い出(その2) 2004/09/02(Thu) 10:07

 これまで何度も書いておりますが、私がデビューしたのは9月13日第三回領土戦対蜀ブリ侵攻戦です。経験がないというのは恐ろしいもので、この初陣にあたり武器スキルも一応アクセ込みですが115あるので、ある程度戦えると思い込んでおりました。
 このときの作戦は、本隊はブリ戦地のキーをなる橋を防衛している間に別働隊が北から渡河して蜀の豚を食し、反転して蜀本隊の背後をつくというもので、私はこの別働隊に組み入れられました。別働隊は特殊な動き方をするのでよく作戦を理解している人がいいだろうということでしたので、前赤β昭殿、元楽進殿、そして前司馬炎殿に私という感じで、日頃のアクトが高く、当時の魏の最精鋭(私をのぞき)で構成されていました。
 しかし蜀のアクトは20OVER、一方の魏のアクトは10少々。別働隊が迂回行動をしている間に、橋の攻防で本隊が蜀の攻撃を防ぎきれず崩壊。別働隊も豚食ったあと反転したのはよいけれどこれまた力及ばす。私自身はといいますと、ラグも物凄く、気がついたらまわりに蜀将が5名以上いて、何もしない間に死んでしまいました。

 なんとか立て直したい。アクト少ないのは勧誘でがんばるにしても、当面は今いるメンバーでがんばるしかない。となればやはり模擬が大事!と、古今東西ピンチのときの対策は、いつの時代も同じですね。
 問題意識の高いときの模擬は、単に紅白わかれて戦うということでなく、動き方や連携の仕方についてチェックして、その度に指摘して修正していくというものになります。軍事指導の中心は前司馬炎殿で、結構厳しく指導されました。当時の日記をみると、基本的なことが全然できてなくて自信喪失気味になっていることが覗えたりします(笑

 そんな中、リアル多忙の影響で曹丕殿が休暇届を出すというショッキングな出来事がありました。君主代理は前郭嘉殿に委ねられましたが、なにせ大黒柱の曹丕殿不在の影響は大きく、第四回領土戦は消去法で私が大将役をやるなど、魏全体の体制を整備することが急務となりました。
 そこで、9月18日前郭嘉殿の音頭のもとで全体会議が行われ様々なことが決められました。

・魏HPの作成(それまではBBSしかありませんでした)
・役職の設定
・参加意識の醸成(維持費制度の導入)
・新規参加者へのサポート規約の設定


 このときの会議で現在の魏公式HPに現在でもかかれている”憲章””役職一覧”といった部分の設定がなされました。いわば今につながる魏の国としての骨格がはじめて形になった瞬間と言えましょう。
 さて、私はこの中で”司馬”職につくこととなりました。魏の司馬職は言わば軍事担当。作戦立案〜日頃の模擬という、一番私に似合わない(笑)職であり、個人的に随分重責と感じました。
 一方当時の魏で更に重要な”勧誘”担当として、李典殿が志願なさいました。李典殿はブリ銀前によく足を運び、盛んに勧誘活動を行っておられました。李典殿の勧誘時の台詞は秀逸で、とりわけUOするのが惰性となって刺激をもとめている人あたりにはびしばし響くような内容だったかと思います。
 私も時折李典殿がブリ銀前で勧誘活動しているところに出向きお手伝いすることとしましたが、そのとき勧誘成功第一号はホウ徳殿でありました。また、羊示古殿や関策殿も勧誘させてもらったと思います。

 勧誘活動はブリ銀前にはとどまりません。使えるキャラは張合βのみでありましたので、ベンダー巡りするのも取引するのも全て張合β。他の人と触れ合う機会があればことさら勧誘の一言を添えておりました。
 あるときピクニックバスケットの取引をいたしました。取引を終えてしばし雑談していると、UO三国志に在籍してリアル事情でやむを得ず途中脱退せざるを得なかった方でした。リアル状況も変化し今なら大丈夫ってことだったので早速武将登録されました。前荀殿です。
 人と人のつながりというものはどこに転がっているかわからないものです。UO三国志参には参加かなわなかったものの、かつての経験者の方とも多く接することもできました。
 ブリ銀前で幽霊ローブでヘルプ要請。タイタン島で死んだということで回収協力要請です。誰も手伝いにいかないのでそれじゃ私がってことでお手伝いししばしお話したところ・・・なんと壱の馬超殿でありました。また、ブリ銀前では他にも大勢の経験者の方々とお話する機会がありました。
 他にも徐晃殿のご友人とか、張遼殿のお仲間とか、魏に所属している変態○○の悪友さんとか(笑
 また勧誘ではないですが、町の鍛冶屋さんに武器特注で作ってもらったりベンダー巡りしているときのお店の人とのふれあいとか、魏のタグ背負っての行動は、いろんな反応があっておもしろかったな〜

 (その3へ続く)


魏での思い出(その3) 2004/09/02(Thu) 13:38

 このペースで書いていると終わりそうもありませんが・・・(苦笑

 さて、UO三国志参加当初、私はとにかく一兵卒としてしっかりと役割を果たすことができるように、という思いのみでありました。純粋に武芸を磨き、武官としての技量を高めるという思いしかなかったのです。ゆえに、本HPも「武芸修行日誌」としておりました。
 しかしそんな私が、全体の運営、魏の内政ということに意識を持つことになった大きなきっかけは前甄氏(前司馬炎殿が武将変更)の存在でした。
 前甄氏は、参からの参加者でありましたが、全体の運営委員を務め、また魏でも軍事面、物資補充面、更に魏HPの管理など、ありとあらゆることを自ら担当されておられました。こういう裏方の仕事というものは、普通にできていて当たり前。ともすれば苦労していることが表にでてこないがゆえに、とくにリアル状況がきつくなると、かなりの負担が生じます。
 前甄氏の口から、負担に感じている旨の発言を初めて聞いたときはかなりの衝撃でした。それと同時に、裏方が随分と苦労した上で領土戦などを楽しませてもらっているという状況をはっきりと意識することとなりました。
 運営の役につく人も、そうでない人も、同じ一プレイヤーでしかありません。誰か特定の人に負担が集中するようなことはあってはならないことだということです。
 10月になり、前甄氏と前[赤β]昭殿が呉へ移籍されました。お二人とも私にとって、また魏にとって極めて大きな存在でした。移籍の理由はそれぞれです。しかしこのとき、お二人から「あとは頼む」と託された手前、もはや一兵卒でいるわけにはいられませんでした。
 役職としては司馬職で作戦立案等の担当でありますが、勧誘やらHP管理とか、できそうなことは手当たり次第。ただ物資補充は、武官キャラではかなり面倒なので、生産キャラやらメイジやらの別キャラ育成などなど。。。とにかくいろいろ手がけ始めました。
 そんなとき曹植殿の存在は大変心強いものがありました。いろんなことをよく話し合いましたね。また、特に物資面では前郭淮殿の頑張りが魏を支えました。前郭淮殿はリアル都合で領土戦不参加であっても領土戦の後GHに現れ、POT補充などを淡々とこなしておられました。

 このあたりから様々な方々のご尽力により、魏将の数も徐々に増えてまいりました。蜀から夏候威殿、夏候淵殿が移籍してこられ、10月には、蔡文姫殿、そして司馬炎殿参加。UO三国志の経験者の方々の参加は大変心強いものがありました。
 それどころかとりわけ司馬炎殿は、所属ギルドMIPメンを続々と魏へ送り込み、今や一大勢力となっております。もしかしたら晋建国の布石だったのかも(笑
 あるとき、曹操殿(当時郭嘉殿)からこんな話がありました。

 「一週間で武器スキルがGMに上がる方法はないだろうか」

 その心は、武器スキルが一週間で上がるならば魏に参加してもよいとおっしゃるご友人がいて、一週間で上がらなければ別の国に参加されるという(なんと!)。なんだかんだありましたが結局その方は魏にご参加いただきました。(さて、誰でしょう(笑

 そんな中ある人物をブリ銀前で勧誘することができました。その後の魏の中核となった曹叡殿(当時は甄氏)でありました。作戦面、勧誘、物資補充、HP管理、イベント企画などなど、実質魏の主とまでなった方でありましたが、当初は大人しかった印象がありますね(何

 さて、メインのお仕事の司馬職は、実は私にとって最もプレッシャーのかかるものでありました。なにせ結果がすぐに領土戦の勝敗で現れてしまうものですから、評価が厳しいお仕事というわけです。
 作戦書をはじめて作成したのは第7回でありました。特に第6回領土戦での惨敗も踏まえ、どのようなことがあらかじめ作戦書に書かれていたらありがたいか、多くの魏将の意見も踏まえて考えました。
 まだ経験の浅い方ばかりの魏であったことと、指揮官不在ということもあって(何、領土戦の最中どう動いていいかわからない、という声が数多くあったことから、平日参加できない方でも、こういう場合はどうする?というイメージが極力共有できることをまずこころがけました。また、全軍一体となりコンパクトな行動を常に行うことが作戦の機軸でした。
 ある領土戦の後、他国の方の日記にて、魏は小隊制をひいているのではないか、と書かれたことがあります。文官と武官数名がセットで行動しているという意味です。実際はそんなことはなかったのですけどね(苦笑
 また作戦書を書くときは、常に複数の案を作っておりました。この戦はこれでいく!ということでなく、極力多くの方の意見を募ることにより、参加意識を高め、平日のアクト増を図ることが狙いだったのです。

 (その4へ続く)


魏での思い出(その4) 2004/09/02(Thu) 16:47

 作戦担当をしていて結果が伴ったときの嬉しさは格別であります。しかし、手の内を見透かされうまく立ち回られれば立ち回られるほど、魏では他国の作戦に感嘆の声が上がっておりましたが、その度に自分自身のテンションは下がりまくり(被害妄想気味かも
 そんなことが続くと、まるで火山の噴火のように、たまったものがときどきこの日記でも噴出しておりましたがまことにもってお恥ずかしい。
 このときの経験から、とりあえず作戦担当を喜ばせるコツを3点ほど(謎

・作戦担当が提案した内容に賛否を問わず反応をしめすこと
・戦の最中は状況変化に応じて対応することでかまわないが、戦の開始当初は作戦どおりに動くこと
・作戦書はあらかじめちゃんとみていなくても、戦直前「今日の作戦って何?」って質問は厳禁

 まぁ、折角作戦書つくってるので無視しないでねってことですね。とにかく作戦BBSの作戦案スレにレスがたくさんついてまとめるのが大変なくらいなのは苦労しがいもあるものです。まったくレスないと・・・しかも複数案提示していて・・・これは困ったこととなりますね(笑

 さて、話題は大きく変わりますが、魏といえば???

 そうイベントですね(何

 三国全体イベントとは別に、新人さん定着、アクト向上の観点でよくイベントが行われました。その記念すべき一回目は10月5日に行われました新人歓迎会を兼ねての曹家vs夏候家1on団体戦であります。

        曹家 vs 夏候家
   先鋒戦 ○張コウvs楽進
   次鋒戦  許チョvs夏侯惇○
   三将戦 ○曹植 vs李典
   副将戦  曹真 vsカク昭○
   大将戦  曹丕 vs夏侯淵
    (敬称略)

 なつかしい名前もみえるこの団体戦。結果は2vs2で迎えた大将戦、延々と討ちあう曹丕殿と夏侯淵殿でしたが、ふと夏候淵殿の動きがとまりました。剣を構え戦闘体制のまま仁王立ちする夏候淵殿。それに気づき動きをとめる曹丕殿。ここで夏候淵殿の仁王立ち伝説が生まれた瞬間です。ちなみに私は先鋒戦にて楽進殿と激突。それまで勝てなかった楽進殿に初めて勝ったという記念すべき一戦でした。
 その後、出身地別の東西対抗戦を行ったり、3on大会をやったり、最近ですとなんといっても「人狼」でしょうか。
 維持費制度も功を奏し魏の軍資金は潤沢で、こういったイベント関係への高額賞金提供も可能となって結構盛り上がりましたねぇ。

 年も改まり2004年。
 お正月前後に数多くの人材を得た魏は、曹叡殿(甄氏)を中心に新戦力が次々に育ちつつありました。領土戦の勝利にはすぐには結びつかなかったものの、日頃のアクトの高さ、模擬参加者の多さなどなど客観的にみてもかなりたくましくなってきた実感がありました。
 そんな中、1月末君主曹丕殿再び休暇の事態となりました。君主代理は郭嘉殿にお願いすることとなりましたが、ここで大将役をどうするかが問題となりました。魏内会議の結果、司馬炎殿、ホウ徳殿そして私での持ち回り大将ということとなり、ここで私は死亡率の高かった弓スキルをはずすことでスキル改造いたしました。
 しかしどうも魏の中心がしっくりとこないというかなんというか・・・そんな状態を見かねてか、郭嘉殿が遂に決断。

 ついに魏に”曹操”誕生の瞬間であります。

 さらに朗報。曹丕殿も無事復帰され、ここに曹丕、曹操という魏にとって機軸となる君主体制が構築されたのでした。
 この直前。
 司馬についていた私と甄氏は示し合わせて司馬職辞職願いを出しました。狙いはマンネリ化してきた魏内の体制の活性化だったのです。役職制度は良い面もありますが役職についている人への依存心を生みすぎるとかえって弊害もあるということで、功罪両面があると思っていました。そういうこともあり、特に司馬職は領土戦に直結するということもあって、できる限り多くの方に就いて欲しい職だったのです。
 まぁ司馬職を辞したとはいえ、作戦立案への関わり方は、私も甄氏も変わりはなかったわけですが、トリンシック侵攻戦の前の日など、司馬関係者での作戦立案会議を延々と行うくらい力が入ってましたね。(もっともこの会議のあと、もうこんな長い会議はやめよう・・・ってのが参加者の総意でもありましたがw)

 この頃の魏は最高潮といっていいくらい、活力があふれていたように思います。平日の模擬アクトが20なんて日もありました。
 三国全体の戦局としても、呉との河北の戦いで主導権を握り河北制圧、対蜀ではトリンシック侵攻を成功し、一気に勢力図を拡大した時期でもありました。

 (なんとその5へ続く。。。いよいよ最終回か)


魏での思い出(その5) 2004/09/03(Fri) 13:48

 最高に充実していた魏でありましたが、徐々に様々な事情によって状況の変化の兆しがでてまいりました。
 在籍していれば間違いなく魏の司令官たる存在になったであろう艾殿、集団戦のプロ兀突骨殿、新進気鋭急速に実力をつけていた典韋殿、PITで抜群の力量を誇った荀殿、参の立ち上げから頑張っていた張遼殿などなど、諸般の事情により離脱を余儀なくされ、30OVERが当たり前であった魏の力も徐々に落ちてまいりました。
 それとともに、4月〜5月にかけて、ルール解釈に係る諸問題などなどが三国全体に影を落とし、全体的にも疲労の雰囲気が漂うなど軋みが生じてしまった時期ではなかったでしょうか。

 それでもまだ魏は、1月〜3月あたりの貯金がものをいったのか、この間も領土戦では勝利続きであり、蜀首都ジェローム、呉首都ムーングロウに傷をつけ、6月12日第37回領土戦にて要害サーパンツ・ホールドを陥落させたとき、三国統一は時間の問題とまで感じられたほどでした。
 しかしこの頃、大指揮官曹叡殿が離脱。また、全般的に慢心もあったのでしょう、確実に戦の精度が低下。どうやら1月〜3月あたりの貯金も使い果たしていたようで、後任楊脩殿が奮闘するも全軍動かず。
 方や、呉は着実に戦力を強化し既に魏を凌駕。また、蜀はといえば、馬岱殿をはじめ新しい力が中心となって日々の錬兵が実を結んできておりました。
 三国統一どころかそのときどきの領土戦でアクト劣勢の中で始まる戦いも多く、勢力図では一番ではありましたが、実力的には最下位に転落したのかも、と思うくらい危機感がつのったのです。

 案の定というかなんというか、第41回領土戦〜第42回領土戦にかけて、領土戦三連敗を喫した直後の7月18日、決起集会を開き、呉・蜀の勢いに負けぬようがんばることといたしました。
 この7月から8月にかけて、私はリアル仕事が超多忙の時期であり、平日の錬兵に参加できない日々が続き忸怩たる思いがつのるばかりでした。曹植殿が決起し、許チョ殿・文鴦殿が中心となって、新生魏の建て直しです。
 平日参加できない私でしたが、せめて力になれればと職場でまわりの目を盗んでひたすら魏国機密室に作戦やらなんやらカキコする日々(何
 曹植殿が病気で倒れた後は、司馬炎殿とも相談して本格的な指揮官役を担ったり、大将やったり。。。
 最後の最後は足がついてこず、つんのめりながらようやくゴールといった感じでしょうか。


 魏の領土戦の会戦数は98。うち私が参加したのは92。三国中一番領土戦に参加したのは私のようです。第三回領土戦に初めて参加して以来、旅行欠席1回と、寝坊遅刻1回しただけという、土曜日の夜超暇人という実態を証明してしまいました。(イイノカオイ
 また、屋台街、三国カルトクイズ、鹿熊WARSといった三国イベントにも参加できたし。思えば目一杯三国志を楽しませていただきました。

 魏に武将登録した方の総数は102(多分)。三国合計すればおそらく300超。多分この一年のうちに、少なくとも100名以上の方とは直接お話することがあったかと思います。
 UO三国志という企画に参加できたからこそ。これほどの多くの方とめぐり合うこともできた。また良い仲間にめぐり合えたからこそ。この一年UO三国志を続けることができたんじゃないかな。


魏ch 2004/09/03(Fri) 17:01

 昨晩久しぶりに魏chに顔だしました。
 仕事が一段落したはずなのに、早朝出勤やら打上げやらでなかなか夜時間がないのです><

 魏chで楊脩殿と久しぶりの再会。アテネがらみで大変だったそうですが、アテネ五輪も終わりようやく自由な時間がとれるようになったようでよかったよかった^^

 そんな楊脩殿が、突如windows media playerはあるか、と聞いてくる。そりゃありますわいってことで返事すると、とあるURLを示してそれを開けという。
 一体何が出てくるかと思いきや、画面に登場したのはなんとディスプレイに表示された魏chのログ。しかもちょうどそのときの会話の様子が映ってる!

 ライブ!

 場所はなんと楊脩殿自室なり。画面内に延びる楊脩殿の指がキーボードをさわると魏chに楊脩殿の発言が・・・

 ほんまものやw

 しかし肝心な部分がカメラ内に入ってこない。その隠された素顔は既に曹植殿や羊コ殿他にわれているというのに、いまさら隠したところで(略)・・・などとあれこれ言うがガードは固いw

 それではご期待にこたえまして・・・

 いよいよ生楊脩殿登場くぁああ!!!!!

 期待感120%!
 ボルテージは上がりまくり、もうドキドキもんです・・・
 そしていよいよその瞬間がキターーーー!!!!

 画面に登場したのは帽子にグラサン、タオルで顔面下半分を覆い隠したあやしい人物(謎

 おーい楊脩殿〜
 知らん間にイラクにいってたんか(謎

 *************

 忘れてた。久しぶりに狩りをした。ほんのちょっとだけ。最初に狩った血エレ君、なんと10kもってたのにびっくり。誰か犠牲になった冒険者がいたのでしょう(南無
 その後あと約10kほど血エレを狩って、もう続ける気力がなくなった。なんとなく疲れ気味な今日この頃、どうも根気が続かない。
 が、最初よければなんとやら。これで終わりにしよう、と決めた血エレから毒100%のスピアがでた。しかも速度30%つき。なんとなくよさそうなアイテムをゲットでき、安らかな気持ちで就寝しました。

曹植 > ジャニーズ.Jrの顔見たかった。。。 (09/05 03:04)

三つ巴戦イベント 2004/09/05(Sun) 11:33

 UO三国志〜参〜の最後を飾るイベントとして、三つ巴戦が行われるということで条件反射的に参加しましたです。この一年間の蓄積が、土曜日の夜の生活パターンを本能に刷り込んでしまったようです(謎

 イベントってことですが魏と蜀の参加者少な〜
 呉たくさん〜

 そういえば、屋台街のときもそうだったし、お正月のイベントもそうだったと思いますが、このあたりお国柄があらわれているというかなんというかw

 さて三つ巴戦ではありますが、なんとなく副将役を仰せつかったものの、一時間の長丁場はきついw おまけに領土戦勝者の魏は、こういうとき最初に狙われるだろうからきつさ倍増〜♪
 殿を中心に、まずは砂漠地帯へ移動。現地検証もしてないから立て籠もるとしたらどの場所がいいか、なんてわかりもしないw
 家並みの中に全軍配置するが、まず案の定呉があらわれた。多勢に無勢、弓隊主力も今回欠席しているし、ひたすら脱出の機会を狙う。
 そうこうしている蜀も現れた。もはやこれまでか、ということで隙を狙いひょこひょこ脱出。蜀本陣あたりまででかけていくが追っ手の気配はないので安心していたら、祖茂殿があらわれた。

 この時点で既に魏大将曹丕殿、副将文聘殿討ち取られていて、魏は残すところ私のみという状態。
 祖茂殿にみつけられたということはかなりヤバイw

 HI

 みると祖茂殿余裕のご挨拶w
 あぅあぅ・・・攻撃しちゃって申し訳ない。挨拶には挨拶でかえすのが三国志戦場の掟というもの。でもね、副将の私がおちるとそこで魏は負け決定だったので、その余裕一切なかったのですよ。ご勘弁あれm(__)m

 張郃をまもれ〜と曹植殿の号令がかかり、三々五々魏将が集結を始める。かなり人数が減っている。が、魏将が多くいるということは、逆にそこに私がいるってことを宣言しているみたいなもので、またぞろ多くの呉将が集まってきた。
 がんばりきるにもジリ貧がみえているので、またぞろ隙をみてすたこらさっさと今度は呉の本陣側へいく。
 またもや家並みの間に身をおき、残存魏将も集まり一段落。焦点はどうやら呉vs蜀の図式となっているが、蜀も魏と同じ運命をたどりつつあるようで戦局は既に決している。
 この間しばし余裕があったので、はてさてどうすっかねえとミニ作戦会議するものの妙案もでず。
 蜀に加勢して呉に相対するのがよさそうなのだが、すでに蜀も残存兵力がわずかとなっており、魏と蜀あわせても10人いるかいないかという状態。
 フィールドでがんばろうとするものの弓がいないのが辛い。守りきれないということは容易に察することもできたので、もう戦場を思いっきり闊歩することを決めた。
 いけどもいけども呉将ばかり。残り時間は30分以上。残り時間が多すぎてちと気力がうせたところでどこかにひっかかって乙。
 三つ巴イベントは結局呉の勝利となりました。

 UO三国志〜参〜の公式イベントは、残すところ来週に閉会式があるそうな。ということで来週がほんとの意味でのUO三国志〜参〜の最後かな。

 しかしUO三国志はまだまだ続く。「既にUO三国志〜詩〜の準備委員会がスタートしはじめているとのことで飛鳥UO三国志も次に続いていく道筋ができているのだ。


近況 2004/09/06(Mon) 13:03

 しばらくたらたらとスキルを上げていた釣りスキルもGMとなり、サルベージができるようになりました。釣りPMメイジ。ちょっと前まで裁縫バルク要員だったキャラを改造しちゃいました。
 みたいテレビ番組があるときとか、〜ながらのUOするにはお手ごろキャラであります。SOSボトルの座標までクルージング。釣上げたお魚は切り身にしてお持ち帰り。別キャラの料理上げの役に立つようです。

 **************

 三国志〜詩〜の準備委員会も立ち上がり、いよいよって感じでしょうか。私個人的には、準備委員会はともかくUO三国志自体に参加するかどうかまだ決めかねている状況です。少なくともリアル仕事の関係で、晩秋〜冬の期間は7月〜8月以上の激務が待ち構えているのが目に見えているのです。(はやくこいこいお正月って感じですw)
 ルール自体もこれから議論されるようですが、その動向も注目ですね。まぁ準備委員にも立候補しなかったんで何もいう資格もありませんが、個人的には次の点は希望ですなあ。

〇姐餔貘里離轡好謄
 領土戦の戦術を多様化するため、また、ギルド管理の煩雑さのため、各国がそれぞれギルドを構成する形となっておりましたが、あくまでもこれは便宜上のものであり、三国全体で一つのギルドと同じであるということを是非大前提にしてほしいですね。
 各国の参加者が領土戦などのことだけを念頭において各国内(あるいは特定のグループ)にこもってしまうことは、いろいろ弊害を生じてしまうと思いますよ。少なくとも裏でぶちぶち不満だけたれてたりするのは溝を作ってしまうかなり悪い兆候かと思いますね。
 かといって対策も難しいところですが、一案としては各国chの原則廃止。領土戦のときだけ三国chに入るのではなくて、領土戦のときとか作戦打ち合わせというときだけ各国作戦chに入るような感じになったらいいなぁ。
 また領土戦以外にもうひとつ戦闘系以外の柱があるといいですね。三国志=戦という概念ならいたし方ないでしょうが、三国志RPという点で年間を通じて三国協力して一般対象のイベントを行うとか、何かそういうものがあるといいんでないかなぁ。前、ちらっと思ったのは劇団です。折角三国志武将がそろっているのですから、一般向けに三国志の名場面を再現する劇を年数回やってみるとかね。まぁこのあたりはUO三国志とは?というそもそもの議論とも直結するところと思いますが。

運営委員に負担のしわよせがかからないようなシステム
 難題発生のとき運営に持ち込み、さあ後は運営で決めてくれ、ということばかりでは運営は大変苦労いたします。そもそも運営だって一プレイヤーなのですから、本来その負担は三国参加者全員で分ち合ってしかるべきもの。
 したがって、物事の決定システムは、原則参加者全員の投票で決めるということで(緊急を要する場合は、三国代表者会議で)。運営はそのための進行管理(スレ立て等)を行うことに徹するというのはどうでしょうね。運営はあくまで三国志の企画を円滑に行うための存在で、各国の利害を気にする必要は一切ないはず。各国の利害調整については運営がうんうん悩むのではなくて、各国に議論をゆだねればよいと思いますね。
 イメージ的には、運営委員の機能は、政治でたとえれば、国会の衆議院事務局という感じでしょうか。んで、各国はそれぞれ政党。物事を決める段取りとかは事務局がセットし、実際決めるのは各国党首会談とか、国会議決とか。そんな感じだとどうでしょうねw

戦士が活躍できる戦場であってほしい
 これは個人的な希望です。大和三国志がどんな感じなのかわかりませんが、魔法でのSKとかで大局が決まってくる戦は、個人的には既に三国志RPとは考えにくいです。昔さながらのHQ戦士での戦い、という点が大きな魅力(と私は思う)のUO三国志。それが、もしメイジの攻撃魔法が主流となるようなら三国志には参加しないかもなぁ・・・

 とりあえずぼぉっとそんなこともつらつら思ったりしていますが、”そもそも”という点から議論が始まるようです。これまでのUO三国志の概念を打ち破るような新しいアイデアも採用されていくかもしれません。
 これから準備委員会で議論始めるってときに、こんな日記かくべきではないかもしれませんが、あくまでも一市民の意見でありますのでそのへんご容赦くださいませw

曹植 > 。稗劭辰量簑蠅郎のままのほうが良いと思います。理由は作戦会議のときのみに別chにて話し合いだと作戦会議以外に気軽に作戦について話し合いができないからです。でも、気軽に三国chに皆が発言できる工夫は必要かもですね。三国演技はとても良い案だと思います。屋台街などに出展して演じてみたいと思いました。ちゃんと台本とか作って素晴らしい劇できたらいいなぁ・・・△鉢は同意です。抵抗のバランスを考えてMBはOKでも良いと思うけど。いっぱい書いてごめんなしあ (09/06 22:58)
choco > そうですなあ、各国chの廃止は現実的には難しいと思ってましたw ただ、そういうマインドで思えるようになればいいなっていうことが一番言いたいことでありました。 (09/07 09:49)
趙咨 > 初の書き込みかな。参開始の時も 銑とまったく同じ議題が出て、〇姐ch重視(各国chはおまけ)運営は決定のみ(議論は一般BBSor運営BBSで全員で行う)戦士が活躍できる戦場ってのが出てそんな感じにしていこうって決まったんだけど、問題はその後かな。最初の頃はうまく行ってたのが時間の流れ・人の入れ替わりで認識のズレが出てきて今の形に/_\ 多分四でも決めるのは簡単だと思うけど、問題はそれを続けれるかどうかかな。(長文sorry) (09/08 04:51)
choco > おぉ趙咨殿のカキコだ♪(なにげに感激)。。。なるほど、参のときもそうだったのですなあ。そうすると、こういうマインドを続けていける仕組みに何か工夫できないかどうかを考える必要がありますね。。。(難題 (09/08 17:12)

気がつけば天国 2004/09/07(Tue) 09:50

 夜中の2時頃ログイン。
 仕事が一段落したはずなのに、なかなか状況が改善せず結構辛いですなあ。

 ほんのちょっとだけUOして落ちよう。。。と思い、まず魏chにログイン。郭淮殿、曹休殿、王基殿が雑談中。格好いい口上づくりの達人郭淮殿が絶好調。郭淮殿によれば、曹休殿のイマージカラーは黒なようでして、”黒”を基調にした口上のアイデアが示されました。いずれこの曹休殿の新口上がお披露目される日も近い?と思うので乞うご期待ってところでしょうか。

 さて私はといいますと、バルクもらってDOOM対岸を一周だけでもして落ちよう。。。というくらいのテンションでありました。私がDOOM対岸をまわるのは、人もある程度少なくなった深夜のこの時間帯くらいですね。人も少ないのでボスの沸き数も少ない、周りは常駐組ばかりなので手順はスムーズ、装備も強力、捨て置かれているアイテムも私からすれば”おぉ”と唸るものが結構落ちてる、ってことで結構いい感じです(謎。
 また、Pub26以降、ここは俺が独占した!と無言のオーラを発生させている雰囲気のDOOM対岸以外の狩場よりも、むしろ利害関係が一致しているDOOM対岸の方がなんとなく気軽っぽい気もしていることも事実です。

 とはいいつつ、ずっとDOOM対岸に常駐しておりますが、なかなかAFにお目にかかれない。最後にジャッカル首をゲットしたのは一体いつの日だったかもう記憶にありませぬ。
 なんとなくよさげなアイテムも鞄にだんだんと溜まってきていて、カースかけられると動けなくなる重量・・・(パラディンなので大丈夫ですがw)ということもあり、そろそろDOOM対岸から引き上げのタイミングかなあと思っておりました。
 アイテムの重量は377ストーン。377、377・・・この数字が頭にこびりついている中、ふと気がつくと、重量が381になってる。

 あれれ???

 !

 鞄の中をのぞくとそこには黒っぽい斧が一振り。

 おぉいつの間にw

 AFゲットの瞬間は画面左下にメッセージが表示されるのですが、今回全然気がつかなかったです。

 ちょいとあっけなかったですが”天国斧”を知らない間にゲットできておりました。DOOM対岸もいい加減あきたところでのAFゲットって・・・顧客心理をつかむのがなかなかうまいですな、EA社。

曹休 > イまージ(*`▽´*) (09/08 02:37)
choco > ↑と郭淮殿がおっしゃってました。 (09/08 02:45)

柳の下に・・・ 2004/09/08(Wed) 17:59

 天国斧を抱きしめて眠りについた一昨晩。
 こういうことがたま〜にあるのでDOOM対岸中毒になるのですね。

 さて、DOOM対岸から大量に持ち帰った強化候補のアイテムを片っ端から強化を開始。このひと時はたまらなくどきどきわくわくもんですが、それにしても伝説テイラー&ブラックスミス看板倒れ・・・ってことをいつもしみじみと実感・・・

 とにかく繰り返すしかないのだ。ということで、再びDOOM対岸へ。船着場では骨竜も出現せずすんなり対岸へ移動。そういえば、出雲時代から何度も対岸にわたっているけれど、一度たりとも骨竜が現れたことはないのはラッキーなんでしょうね。

 さて、DOOM対岸。柳の下にどじょうは二匹いなかった。ということですが、まぁ当然といえば当然かな。また数ヶ月かけて次のAFを狙いますよ。といいつつ昨晩のDOOM対岸は、死者でまくりでやけに荒れてた感じだったんで早々に引き上げました。DOOMにいったのが1時台。ちょっと早かったかな・・・



すぐに落ち 2004/09/09(Thu) 14:28

 さあUOするぞ!と深夜ログイン。
 バルクもらってまずは釣り!
 永久航路あたりに停泊中の船にリコして手持ちのSOSボトルの座標を確認し、さあ出航〜

 とたんにすぐに鯖境界線に引っかかった。

 あ〜波が高いぜ

 ところがその鯖境界線を乗り越えることができない。
 なぜだ???
 反対側に障害物となる船でもあるのかな、と思い移動して再度トライ。やっぱだめ・・・
 うーんおかしい・・・
 またまた移動して再びトライ。やはりだめ。

 あーーーーーもうわけわからん。
 ということでいらいらしたんでそのままログアウトして寝ました(何

文鴦 > 現在、船で内部サーバーの境界線を越えることが出来なくなる問題が発生しています。 (09/09 16:42)
文鴦 > ↑とパラリにありました。 (09/09 16:43)
choco > な・・・なんですて〜!!! (09/09 17:06)

閉会式 2004/09/12(Sun) 11:14

 UO三国志〜参〜の最後を飾る閉会式に出席しました。

 UO三国志〜参〜統一国は領土ポイント245ptということで魏。
 事前に行われましたアンケート結果に基づいて、

 三国MVP:蜀・諸葛亮殿
 各国MVP 魏・張郃、呉・宋謙殿、蜀・諸葛亮殿

ということとなりました。(なんか私の名前が見えますが・・・)

 閉会式終了後ブリ城に集合。全員整列した後、殿と大殿からお言葉を頂戴し、魏としての終了宣言。
 その後、呉メン、蜀メンも集合し、ブリ銀前をパレードしてUO三国志〜参〜は終わりを告げた。

 この一年本当に楽しませていただいたUO三国志〜参〜の仲間たちに本当に感謝。

 UO三国志〜参〜の張郃はこれにて終わりです。
 それと同時に、本日記帖も本日が最終回となります。今までご覧になっていた方々、こんな拙文におつきあいいただきまして本当にありがとうございました。

 既にUO三国志〜四〜の準備委員会も立ち上がり、いよいよ本日から本格的に準備活動が開始されるということです。

 UO三国志はプレイヤー企画です。参加者全員で助け合い、大成功につながることを祈りまして最後の言葉とさせていただきます。


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